大量失点した我が子が、うつむいたまま車に乗り込んできた。そんな帰り道、パパは何を言えばいいのでしょうか。
「腕が下がっていたぞ」と原因を教えるべきか。「次は大丈夫」と励ますべきか。それとも、何も言わずに待つべきか。
花巻東の萬谷堅心投手は、2026年6月の春季東北大会で青森山田に流れを止められず、登板中に8点を失いました。しかし45日後、夏の岩手大会決勝では盛岡大付を相手に94球、5安打完封。花巻東を岩手大会史上初の4連覇へ導きました。
ただし、この記事で成功物語をきれいに仕立てるつもりはありません。公開資料からは、青森山田戦後にフォームのどこを直したのかまでは確認できないからです。
確かに見えるのは、大崩れが一球で起きたのではなく、四球や走者への対応、連打がつながって起きたこと。そして夏には、走者を出しても次の一球へ戻れる投球を見せたことです。
その変化を手掛かりに、大敗直後の子どもから「自分で修正する力」を奪わない距離感、声を掛ける場面と待つ場面、親が見逃したくない小さな復調の兆候を一緒に考えます。
「8失点」だけでは見えない、萬谷堅心の崩れ方
春季東北大会は4―10の敗戦――「春」をセンバツと混同しない時系列整理
最初に、試合の時系列を整理しておきましょう。
花巻東が青森山田に4―10で敗れたのは、2026年6月10日に行われた春季東北大会準々決勝です。「春の青森山田戦」と聞くと、3月のセンバツを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、萬谷投手が登板中に8点を失ったのはセンバツではありません。
今回取り上げる「8失点」は、センバツの智弁学園戦とは別の試合です。
ここを曖昧にしたままでは、「春はまったく通用しなかった投手が、夏に突然復活した」という誤った物語になってしまいます。萬谷投手は、多彩な変化球を武器とする高校日本代表候補として紹介されていた投手です。
青森山田戦は、能力のない投手が打ち込まれた試合ではありません。力のある投手にも、流れを止められなくなる局面がある。その現実を示した試合です。
少年野球でも同じです。一度の大量失点だけを切り取って「あの子は投手に向いていない」と決めることはできません。反対に、以前うまく投げていたからといって「本来なら打たれないはずだ」と責めるのも違います。
試合を見るときは、最終スコアだけでなく、「いつ」「どんな役割で登板し」「どこから歯車がずれたのか」を確認する必要があります。
6回の救援登板から8回2死無走者まで――最初から投げられなかったわけではない
萬谷投手は青森山田戦に先発したわけではありません。右翼で出場し、6回から3番手としてマウンドに上がりました。
6回には同点打を許し、失策も絡んで勝ち越されました。しかし、続く7回は無失点。8回も先頭打者から2人を打ち取り、2死走者なしまで進めています。
つまり、「マウンドに上がった瞬間から何もできなかった」のではありません。
無失点で切り抜けた回があり、8回にもあと一つのアウトまで迫っていました。最終的に登板中の失点が8になったため、その途中にあったアウトや無失点の回は見えにくくなります。それでも、立て直せていた時間は確かに存在します。
これは、我が子が大崩れした試合を見るときにも大切な視点です。
たとえば「四球を5個出した」という結果だけを見るのではなく、その間にストライク先行で打ち取った打者はいなかったか。守備のミスの後に、落ち着いて次のアウトを取れた場面はなかったか。うまくいかなかった一日の中にも、再現したい一球や一つの動作が残っているかもしれません。
大量失点すると、親も子も試合全体を「全部ダメだった」と黒く塗りつぶしがちです。しかし、復調の材料は、できなかったことだけでなく、一時的にでもできていたことの中にあります。
連続四球から4連打へ――大量失点は一球の失敗ではなく連鎖で起きる
青森山田戦の8回は、2死走者なしから動きました。
そこから連続四球で走者を出し、三塁打、単打、単打、3ランと長打を含む連打を浴びています。試合全体では、この回の一挙6点が勝負を決定づけました。詳しい流れは、青森山田対花巻東の一球ごとの試合経過で確認できます。
ここで見落としたくないのは、大量失点が「たった一球の失投」で完成したわけではないことです。
四球を出す。走者を意識する。ストライクが欲しくなる。甘い球を打たれる。守備時間が長くなる。さらに走者を背負い、早くアウトを取りたくなる――。複数の出来事がつながった先に、大きな数字が残っています。
少年野球では、この連鎖がさらに起こりやすくなります。投手の四球、捕手の後逸、内野の送球ミス、ベンチの焦り、味方からの強い声。原因は一人、一球、一つの技術に限定できません。
それなのに試合後、「もっとストライクを入れろ」「四球がすべてだった」と一言で片づけてしまえば、子どもは何を直せばよいのかわからなくなります。
振り返るべきは8点という塊ではなく、連鎖の入口です。
最初の四球の前に呼吸やテンポは変わっていなかったか。四球の後、次の打者に気持ちを戻せたか。捕手と話す時間はあったか。ベンチがタイムを取る選択肢はなかったか。
「どこで連鎖を切れたか」を考えると、大敗は人格評価ではなく、次に使える具体的な学びへ変わります。

45日後の94球完封は、何が変わった試合だったのか
5安打を許しても崩れない――復活は「走者を出さないこと」ではない
青森山田戦から45日後の2026年7月25日。花巻東は夏の岩手大会決勝で盛岡大付を5―0で破り、岩手大会史上初となる4連覇を達成しました。
萬谷投手は9回を94球、5安打で完封しています。
「8失点から完封」と並べると、打たれない投手に変身したように見えます。しかし、決勝でも5本の安打を許しており、走者を一人も出さなかったわけではありません。
大きく違ったのは、走者を出したことが、そのまま失点の連鎖にならなかった点です。
復活という言葉から、私たちは「失敗しない状態」を想像しがちです。しかし、実戦で本当に必要なのは、四球も安打も失策も起こり得る中で、次の一球へ戻る力ではないでしょうか。
少年野球の投手にも「全部三振に取れ」「一人も歩かせるな」という完璧さは必要ありません。むしろ、四球を出した次の打者へストライクを投げられた、安打を許した後にゴロを打たせた、味方のミスの後も表情を大きく崩さなかった。そこに再起の力が表れます。
0点という結果だけを見ると、子どもは再現できません。「走者が出た後に何をしたのか」まで見て、初めて自分たちの野球へ持ち帰れるのです。
テンポ、制球、多彩な変化球――本来の持ち味を組み合わせた投球
萬谷投手の持ち味は、球速だけではありません。多彩な変化球を武器とする投手であることが、花巻東の投手陣と萬谷投手の持ち味を紹介した報道でも伝えられています。
夏の完封は、突然ものすごい球を手に入れたというより、自分がもともと持っていた武器を、走者がいる状況でも生かせた試合と見るほうが自然です。
ただし、青森山田戦後にフォームのどこを変えたのか、どの練習が直接の転機になったのかは、今回確認できた公開資料だけでは断定できません。「8失点して腕の位置を修正した」「家族の言葉で立ち直った」といった話を、事実のように補うべきではないでしょう。
わからない部分を無理に成功法則へ変えないことも、大切な読み方です。
私たちが持ち帰れるのは、もっと現実的な視点です。子どもが大崩れしたとき、新しい技術を次々と足す前に、本来できていたことを確認する。テンポなのか、呼吸なのか、捕手との対話なのか、足元の動作なのか。本人が「これなら戻れそうだ」と感じられる場所を探すのです。
複数の投手で戦う――エースを一人にしなかった花巻東のチーム設計
萬谷投手の復活を、本人一人の根性だけで説明することもできません。
花巻東には最速140キロ超の投手が4人おり、春の岩手県大会を投手陣の力で勝ち抜いていました。花巻東の複数投手と萬谷投手を紹介した報道からも、一人だけに頼らない投手層があったことがわかります。
青森山田戦でも萬谷投手は3番手です。チームとして複数投手を起用し、役割を分ける前提があったと考えられます。
エースが大敗したとき、「エースなのだから次も投げて取り返せ」と背負わせる物語は、わかりやすく胸を打ちます。しかし、休む時間を与え、別の投手にも役割を渡し、チーム全体で夏を戦える状態をつくることも立派な再起の支援です。
少年野球でも、勝ちたい試合ほど一人の投手へ負担が集中します。すると、その子が崩れた瞬間にチーム全体が立ち行かなくなり、本人には「自分が勝たせなければ」という重圧がのしかかります。
複数投手、複数捕手を育てることは、単なる故障対策ではありません。失敗した子が一度マウンドを離れ、落ち着いて自分を見直せる環境をつくることでもあります。
復活を本人の精神力だけに任せない。これは強いチームだけでなく、人数の限られた少年野球チームにも必要な発想です。
大敗直後、親が答えを急いでしまう本当の理由
「早く立ち直らせたい」は誰の不安か――子どもの失敗に親が耐えられない心理
我が子が打ち込まれ、ベンチでうつむいている。そんな姿を見るのは、親にとっても苦しいものです。
だからこそ、早く元気にしたくなります。「次は大丈夫」「いい経験になった」「気にするな」と、前向きな言葉を急いで渡したくなるのです。
でも、その「早く立ち直ってほしい」は、本当に子どものためだけでしょうか。
親自身が重い空気に耐えられない。失敗を引きずって野球を嫌いになるのが怖い。周囲から我が子がどう評価されるか気になる。自分の励ましで状況を動かし、「親として何かできた」と安心したい――。そんな気持ちが混ざることは珍しくありません。
これは親が悪いという話ではありません。大切に思うからこそ、不安になります。
ただ、その不安を子どもへ返してしまうと、子どもは自分の悔しさに加えて、親を安心させる役割まで背負います。本当はまだ落ち込んでいるのに、「もう大丈夫」と答えなければならなくなるかもしれません。
私も野球未経験の父親として、知識がないぶん、何か役立つことを言わなければと焦った経験があります。しかし、親の役割は、最速で正解を言うことではありません。
子どもの回復速度を決めず、落ち込んでいる時間にも居場所を変えない。それだけで、再び自分から動き出す土台になります。
帰りの車が即席反省会になる危険――正しい技術論でも届かないタイミングがある
帰りの車は、親子だけで話せる貴重な時間です。その一方で、逃げ場のない反省会にもなりやすい場所です。
「腕が下がっていた」
「四球を怖がりすぎた」
「もっと捕手を信じればよかった」
これらが技術的に正しい可能性はあります。しかし、正しい内容でも、届かないタイミングがあります。
試合直後の子どもは、失敗した場面を何度も思い返しているかもしれません。監督や仲間への申し訳なさ、また打たれる恐怖、自分への怒りが整理されていない状態です。そこへ親の分析が続けば、子どもには「帰宅するまで評価が終わらない」と感じられます。
さらに困るのは、親の指摘と指導者の修正方針が違った場合です。親は「腕を上げろ」と言い、コーチは別の動作を見ている。子どもは誰を信じればよいかわからず、投げるたびに複数の指示を思い出すようになります。
技術指導は、本人と捕手、監督、コーチが扱う領域です。親は睡眠、食事、移動、痛みの確認、安心して休める家庭環境を支える。この役割分担は、何もしないことではありません。
言いたいことがあるときほど、一晩置く。翌日、本人が話したい様子を見せたら聞く。映像を撮っていても、本人が見たいと言ったときに使う。
情報や記録は資産ですが、渡すタイミングを間違えると圧力になります。
8失点を人格評価に変えない――「投手に向いていない」と「今日は崩れた」を分ける
大量失点した子どもは、「今日はうまく投げられなかった」ではなく、「自分は投手に向いていない」と受け止めることがあります。
親の言葉も、知らないうちに人格評価へ近づくことがあります。
「メンタルが弱い」
「大事な場面でいつも逃げる」
「エースの自覚がない」
これらは原因を説明しているようで、実際には子ども全体へラベルを貼る言葉です。次の試合で一つ改善できても、「自分は弱い」という大きな評価を覆すのは簡単ではありません。
一方、「2死から四球が続いた」「走者が出てテンポが速くなった」「ストライクを取りにいった球を打たれた」と分ければ、直せる行動になります。
8点すべてが同じ原因で入ったわけではありません。四球、安打、長打、守備、走者への意識など、複数の要素が重なっています。プレーを小さく分解するほど、「自分はダメだ」という結論から離れられます。
これは甘やかしではありません。厳しく振り返るためにも、人格とプレーを分ける必要があるのです。
「投手に向いていない」ではなく、「今日は連鎖を切れなかった」。
この言い換えだけで、次に取り組む余地が残ります。

試合直後・翌日・次の練習――復活を待つ3段階の声かけ
試合直後は感情の安全を守る――「今は話したい?静かにしたい?」と選択肢を渡す
試合直後に親が最初に守りたいのは、フォームではなく感情の安全です。
おすすめしたい声かけは、答えを求める質問ではなく、選択肢を渡す言葉です。
「お疲れさま。今は話したい? 少し静かにしたい?」
これなら、話すことも黙ることも子ども自身が選べます。何も答えなければ、無理に会話を続ける必要はありません。
「悔しかったね」「今日はしんどかったな」と、見えている感情を短く受け止めるだけでも十分です。「でも」「次は」「せっかくだから」と、すぐに前向きな結論を付け足さないことがポイントです。スポーツドクター・辻秀一氏による解説でも、まず子どもの悔しさを受け止め、結果を求める「期待」ではなく、価値が変わらないことを伝える「応援」の大切さが説明されています。
親が沈黙を怖がらず、普段どおりに接することで、子どもは「打たれても家庭での自分の価値は変わらない」と感じられます。
もちろん、何を言っても反応が薄いことはあります。それは声かけが失敗したのではありません。今は言葉を受け取る余裕がないだけかもしれません。
親の役割は、その場で立ち直った証拠を回収することではなく、話したくなったときに戻れる場所を残しておくことです。
本人が話し始めたら質問を一つ――「一番悔しかった場面は?」から分解を始める
子どもが自分から試合の話を始めたら、すぐに原因や答えを渡さず、質問を一つだけ置いてみます。
「一番悔しかった場面は、どこだった?」
この質問には、8失点という大きな塊を、一つの場面へ小さくする働きがあります。
子どもが「ホームランを打たれた球」と答えるかもしれません。「その前の四球」と答えるかもしれません。あるいは「味方のミスの後にイライラしたこと」と話すかもしれません。
親が予想していた原因と違っても、すぐに訂正しないことです。まず、「そこが悔しかったんだな」と受け取ります。
その後も質問を重ねすぎないようにします。一問一答の取り調べになれば、子どもは正解を探し始めます。
大切なのは、本人の中にある違和感を言葉へ変えることです。何が起きたかを自分の言葉で説明できれば、捕手やコーチに相談するときの材料にもなります。
「どうしてできなかった?」より、「どの場面が一番気になっている?」。
原因を追及するのではなく、振り返る入口を一緒に探す質問です。
翌日以降は答えを渡さない――「次に一つ試すなら何?」と修正の主導権を返す
気持ちが少し落ち着いた翌日以降は、過去を裁く質問から、次の行動を選ぶ質問へ移ります。
「次の練習で、一つだけ試すなら何にする?」
ここで重要なのは、「一つだけ」です。
大崩れの後は、直したいことが増えます。腕の位置、踏み出す足、リリース、呼吸、牽制、配球、テンポ。全部を同時に修正しようとすれば、かえって自分の感覚を失います。
本人が「四球の後に一呼吸置く」と決めてもいい。「捕手にテンポを聞く」でもいい。「コーチと映像を見る」でも構いません。
親から見て小さすぎる修正でも、本人が選んだことに意味があります。自分で決め、試し、合わなければ変える。その繰り返しが、失敗後に戻れる選手を育てます。
親が答えを知っているように見える場面でも、まず本人の案を待つ。わからないと言われたら、「コーチに相談してみる?」と支援先を提案する。
修正の主導権は子どもへ返しつつ、相談できる人や時間を用意する。それが「見守る」と「支える」を両立させる距離感です。
見守るべき失敗と、大人が介入すべき危険の境界線
競技上の失敗は待つ――四球や被安打を本人が言葉にする余白を残す
見守るとは、何もせず眺めることではありません。「見守る親」と、否定や強制で先回りする「見張る親」の違いを紹介したFull-Countの記事でも、子どもが失敗から自分で戻れると信じ、修正の機会を奪わないことの大切さが指摘されています。
四球を出した、安打を浴びた、サインを間違えた。こうした競技上の失敗については、親が先に原因を決めず、本人が言葉にするまで待ちます。
数秒の沈黙を埋めない。質問の答えを誘導しない。本人がコーチへ聞きに行く前に、親が代わりに説明しない。これらは小さな行動ですが、子どもの主体性を守ります。
一方で、親は変化を観察しています。
練習へ行きたがっているか。キャッチボールを避けていないか。野球の話題すべてを拒絶するようになっていないか。本人が助けを求めたとき、話を聞ける状態にあるか。
待つとは結果を保証する方法ではありません。待てば必ず次の試合で好投するわけでもありません。それでも、親が修正を奪わなければ、子どもは自分で違和感を見つけ、相談し、試す経験を積めます。
その力は、野球を離れた後にも残ります。
痛み・暴言・投げ過ぎは待たない――自主性の名で安全を放置しない
競技上の失敗には余白を残しても、健康と安全の問題には大人が介入しなければなりません。
肩や肘の痛みがある。極端な投球過多が続いている。指導者から人格を否定する暴言を受けている。いじめや仲間外れがある。眠れない、食欲が落ちた、無気力な状態が続く――。こうした兆候を「本人が言い出すまで待とう」「自主性を尊重しよう」と放置してはいけません。
子どもは、レギュラーを外されたくない、弱いと思われたくない、チームに迷惑をかけたくないという理由で、痛みや苦しさを隠すことがあります。
筆者自身、小さな痛みでも病院へ行き、親が診断せず専門家へ任せることを大切にしてきました。医師の説明を親子で共有できれば、休む必要性についても感情論ではなく話せます。
親が待つべきなのは、子どもが自分で競技上の答えを見つける時間です。医療判断や安全管理まで子どもへ背負わせることではありません。
「失敗は待つ。危険は止める」。
この境界線を持つことで、見守りが放置になるのを防げます。
「悔しいなら投げ込め」は危険――罰ではなく回復と小さな確認を選ぶ
大量失点の後、「悔しいなら投げ込め」「走って根性をつけろ」という言葉が出ることがあります。
本人が納得して取り組む調整練習と、失敗の罰として行う投げ込みは別物です。
疲労した状態で投球数を増やせば、フォームが崩れ、肩や肘への負担も増えます。それだけでなく、子どもに「打たれたら身体を罰しなければならない」という学習をさせかねません。
2026年から学童野球では、従来の1日70球以内、4年生以下60球以内に加え、1週間の投球数にも上限が設けられました。5、6年生は週210球以内、4年生以下は週180球以内です。試合だけでなく、日々の投球をどう把握するかが問われます。具体的な制限は、全日本軟式野球連盟の「学童部における一週間に係る投球数制限の導入について」で確認できます。
大敗後に必要なのは、罰ではなく回復と確認です。
十分に休む。痛みがないか確かめる。短い距離のキャッチボールで感覚を確認する。ブルペンでは一つの課題に絞る。必要なら別の投手に任せる。
休むことは逃げではありません。次の挑戦に戻るための、具体的な準備です。
勝敗より先に見つけたい「復調の小さな兆候」
四球の次、失策の次を観る――崩れなかった一球を復調の証拠にする
復調を勝敗や防御率だけで判断すると、親も子も苦しくなります。
好投しても味方の援護がなければ負けます。打ち取った打球が安打になることもあります。反対に、制球が不安定でも守備に助けられ、数字だけは良く見える試合もあります。
そこで観たいのが、「失敗の次」です。
四球を出した次の打者に、初球ストライクを投げられたか。味方の失策後に、テンポを乱さず投げられたか。安打を許した後、間を使って落ち着けたか。ボールが続いたとき、一度呼吸を整えられたか。
崩れなかった一球は、スコアブックでは目立ちません。しかし、失敗後の戻り方を身につけつつある証拠です。
夏の決勝で萬谷投手が示した価値も、5安打を許さなかったことではなく、許しても得点へつなげさせなかったことにあります。決勝の詳細は、萬谷堅心投手の94球完封と花巻東の4連覇を伝えた試合後報道で確認できます。
試合後に褒めるなら、「完封できてすごい」だけではなく、「四球の後に戻れたな」「エラーの後も次の打者と勝負できていたな」と、再現できる行動を言葉にしたいところです。
捕手やコーチに相談できたか――助けを求める力も投手の実力
投手の実力というと、球速、制球、変化球に目が向きます。しかし、苦しいときに助けを求める力も重要です。
捕手へ「今の球、どう見えた?」と聞く。コーチへ違和感を伝える。内野手の声を受け取る。必要ならタイムを取る。自分だけで解決できないと判断し、周囲の力を借りる。
これは弱さではありません。試合を立て直すための技術です。
投手の調整は、必ずしも孤独な作業ではありません。捕手やコーチと対話しながら、自分の感覚を確かめていくことができます。
少年野球では、エースほど「自分で何とかしなければ」と抱え込みがちです。周囲も「エースを信じる」という言葉で、実質的に一人へ任せきってしまうことがあります。
親が観たいのは、マウンド上で強そうに見えたかだけではありません。
捕手と会話できたか。ベンチへ自分の状態を伝えられたか。練習後にコーチへ質問できたか。交代を告げられた後、次の投手を支えられたか。
助けを求め、助けを受け取り、チームへ返す。その循環も、復調の大切な兆候です。
家庭・指導者・チームで支える――複数投手と休める環境が再挑戦を可能にする
子どもの復活を、本人の努力と家庭の声かけだけで完結させることはできません。
指導者には、原因を技術、戦術、心理、疲労、起用へ分けて考える役割があります。捕手には投手の変化を近くで感じ、間をつくる役割があります。チームには、失敗した一人を責めるのではなく、守備、配球、交代時機を含めて振り返る姿勢が求められます。
家庭が担うのは、食事、睡眠、移動、痛みの確認、安心できる居場所です。
この役割が混ざると、親が投球フォームを直し、指導者が家庭での気持ちまで決め、子どもは複数の正解に挟まれます。だからこそ、互いの領域を尊重しながら情報を共有する必要があります。
また、一人の投手へ勝敗を背負わせないチームづくりも欠かせません。複数投手を育て、捕手も複数の組み合わせを経験し、必要なときに休める。その環境があれば、打ち込まれた投手は「次も自分が全部投げなければ」という恐怖から少し離れられます。
環境は、最初から完璧に用意されているものではありません。筆者には、球技ができる場所を失った後、学校や地域へ相談し、団体としてグラウンドを借りる環境を整えた経験があります。
同じように、投手を守る仕組みも、大人同士の対話でつくれます。
「週の投球数を誰が把握するのか」
「連続四球のとき、タイムや交代をどう判断するのか」
「投手を何人育てるのか」
こうした話を感情的な抗議ではなく、子どもを長く支えるための運用として共有する。それも未経験パパにできる大切な仕事です。

まとめ
復活とは失敗を消すことではなく、失敗後の戻り方を持つこと
萬谷堅心投手の「8失点から94球完封」という結果だけを見れば、劇的な復活物語になります。
しかし、私たちが少年野球へ持ち帰りたいのは、完封という華やかな数字ではありません。
青森山田戦では、2死走者なしから連続四球をきっかけに連打が重なりました。夏の決勝では5安打を許しながらも、走者を失点へつなげさせませんでした。
失敗しなくなったのではなく、失敗の次へ戻れた。
復活とは、過去の失敗を消すことではありません。四球、安打、失策が起きた後に、次の一球、次の打者、次のアウトへ戻る方法を持つことです。
待つとは放置ではなく、子どもが自分で原因をつかむ余白を守ること
親が答えを急げば、短期的には早く修正できるように見えるかもしれません。
しかし、子どもが自分で違和感を見つけ、言葉にし、捕手やコーチへ相談し、一つ試してみる経験は失われます。
試合直後は「今は話したい? 静かにしたい?」と選択肢を渡す。本人が話し始めたら「一番悔しかった場面は?」と一つだけ聞く。翌日以降は「次に一つ試すなら何?」と主導権を返す。
その一方で、痛み、暴言、投げ過ぎ、心身の異変には大人が介入します。
競技上の失敗は待つ。健康と安全の危険は待たない。
この境界線があるからこそ、見守ることは放置ではなく、能動的な支援になります。
次の試合で完封しなくてもいい――親子で次の一球を楽しめる関係を残そう
大敗した次の試合で、我が子が完封するとは限りません。また四球を出すかもしれないし、打たれるかもしれません。
それでも、四球後の次の一球に戻れた。捕手へ相談できた。痛みを隠さず伝えられた。練習でもう一度マウンドへ上がろうと思えた。
それらはすべて、数字に表れにくい復調です。
子どもが主役であり、親はすべてをコントロールできません。できるのは、無理をさせず、放置もせず、自分で考えて再挑戦できる環境を整えることです。
次の試合で完封しなくてもいい。
失敗した一球の後も、親子で次の一球を楽しみにできる関係が残っている。それこそが、長い野球ライフを支える本当の勝利ではないでしょうか。
