ヤクルト西川遥輝が復活した理由|輝きを取り戻した「変えない勇気」と「変える勇気」とは

Why Haruki Nishikawa of the Yakult Swallows Made a Comeback Learning from His “Courage to Not Change” and “Courage to Change” to Overcome Slumps and Two Layoffs, a Hint for Children to 少年野球パパの応援指南

ヤクルト西川遥輝が復活した理由|輝きを取り戻した「変えない勇気」と「変える勇気」とは

「なんであんなに速いのに、試合に出られなくなっちゃったの?」
「一度ダメになっても、また活躍できるってすごいね。どうやったんだろう?」

お子さんとプロ野球中継を見ていると、そんな素朴な疑問が飛んでくることはありませんか?特に、一度はトップスターに上り詰めながらも、厳しい世界で苦しみ、それでも再び輝きを取り戻そうともがくベテラン選手の姿は、子供たちの心に強く響くものがあります。

この記事の内容を、約8分で聞き流せる音声コンテンツにまとめました。家事や運転の合間など、ながら聞きで楽しみたい方はこちらからどうぞ!

この記事の音声版です。西川遥輝選手が2度の戦力外通告とスランプを乗り越え、再び輝きを取り戻した理由を「変えない勇気」と「変える勇気」という2つの側面から解説します。

東京ヤクルトスワローズの西川遥輝選手も、そんなドラマチックな野球人生を歩む一人です。日本ハムファイターズで4度の盗塁王に輝いたスピードスターは、2度の戦力外通告という大きな壁にぶつかりました。しかし、2024年にヤクルトで見事な復活を遂げ、2025年も再び困難に直面しながら一軍の舞台で戦い続けています。[1]

彼の復活劇は、単なる技術論では語れません。そこには、自分の核となる武器を信じ抜く「変えない勇気」と、プライドを捨ててでも進化を求める「変える勇気」という、二つの相反する強い意志がありました。

この記事では、西川遥輝選手の波乱万丈なキャリアを紐解きながら、彼がどのようにしてスランプを乗り越え、輝きを取り戻したのかを徹底解説します。彼の物語は、野球の技術だけでなく、子供がこれから直面するであろう様々な「壁」を乗り越えるための、大きなヒントを与えてくれるはずです。

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栄光と挫折、波乱万丈の野球人生

Why Haruki Nishikawa of the Yakult Swallows Made a Comeback Learning from His “Courage to Not Change” and “Courage to Change” to Overcome Slumps and Two Layoffs, a Hint for Children to (2)

日本ハム時代:「北のスピードスター」の誕生と4度の盗塁王

智弁和歌山高校から2010年ドラフト2位で北海道日本ハムファイターズに入団した西川選手は、まさに「走るために生まれてきた」ような選手でした。プロ入り後、その才能は一気に開花し、球界を代表するリードオフマンへと成長を遂げます。

彼の名を全国に轟かせたのは、誰もが息をのむその圧倒的な「脚」でした。2014年に43盗塁で初の盗塁王に輝くと、2017年、2018年、2021年と計4度もそのタイトルを獲得。これは現役選手の中では突出した記録です。しかし、彼の真骨頂は単なる数ではありませんでした。通算300盗塁を達成した時点での成功率.857は、伝説の名選手・広瀬叔功氏の記録を上回る史上最高記録であり、その走塁がいかに確実で、相手バッテリーにとって脅威であったかを物語っています。

打撃面でも、2016年にはそれまでの長打狙いのスタイルから、出塁を第一に考えるスタイルへとモデルチェンジ。これが功を奏し、キャリアハイとなる打率.314を記録。チームの日本一に大きく貢献し、広島との日本シリーズで見せた劇的なサヨナラ満塁ホームランは、今もなお多くのファンの記憶に刻まれています。

走攻守三拍子揃ったプレーで、ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞を4年連続で受賞。誰もが認めるスター選手として、輝かしいキャリアを築き上げていきました。

楽天時代:予期せぬ不振と2度の戦力外通告

しかし、プロの世界は非情です。順風満帆に見えた彼の野球人生は、2021年オフに突然の転機を迎えます。4度目の盗塁王を獲得したその年に、チームの若返り方針などを理由に、日本ハムから「ノンテンダーFA」、つまり事実上の戦力外通告を受けたのです。

新天地を求め東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍したものの、ここで彼はプロの、そして自分自身の壁に直面します。移籍1年目は開幕ダッシュに成功するも、夏場に失速。翌2023年には出場機会が激減し、打率.181と深刻な打撃不振に陥りました。かつての輝きは見る影もなく、同年オフ、楽天からも戦力外通告。わずか2年の間に2度も「必要ない」と告げられるという、アスリートにとってこれ以上ないほどの屈辱と絶望を味わうことになったのです。

新天地ヤクルトでの復活劇

「自分の実力不足です」。楽天時代をそう振り返り、再起を誓った西川選手に手を差し伸べたのが、東京ヤクルトスワローズでした。入団会見で「もうひと花咲かせられるように」と静かに語ったその瞳には、逆境を乗り越えようとする強い意志が宿っていました。[2]

2024年、彼はその言葉を自らのバットと足で証明します。開幕からリードオフマンとして起用されると、巧みなバットコントロールと選球眼、そして錆びついていなかったスピードで躍動。113試合に出場し、打率.260という成績を残し、見事な復活を遂げたのです。

しかし、物語はここで終わりません。プロ15年目の2025年、再び深刻な打撃不振に陥り、約2ヶ月間の二軍調整を余儀なくされます。ですが、彼はもう腐りませんでした。「試練だった」と語るその期間、鏡と向き合い、自らのフォームを徹底的に見つめ直すことで、新たな手応えを掴んで一軍の舞台へ帰ってきたのです。[1]

復活を支えた「変えない勇気」:揺るぎないスピードという核

西川遥輝という野球選手の物語を読み解く上で最も重要なのは、彼が「何を変えなかったか」です。どれだけ打撃に苦しみ、自分の形を見失いそうになっても、彼が決して手放さなかったもの。それが、彼の野球人生そのものである「スピード」でした。

2025年8月30日現在、彼の通算盗塁数は343。これは現役選手では断トツの1位であり、2位の選手に70以上の大差をつけています。[NPB公式サイト]

現役選手 通算盗塁数ランキング (2025年8月30日現在)

順位選手名盗塁数
1西川 遥輝 (ヤクルト)343
2大島 洋平 (中日)270
3荻野 貴司 (ロッテ)260
4周東 佑京 (ソフトバンク)228
5中島 卓也 (日本ハム)206

この数字が示すのは、単なる足の速さではありません。出塁すれば、バッテリーにプレッシャーをかけ、チームの得点確率を劇的に高めることができる。この絶対的な武器があるという自信こそが、スランプという暗いトンネルの中で彼を支え続けた光でした。

進化を恐れない「変える勇気」:現状を打破する柔軟性

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一方で、西川選手の真の凄みは、過去の栄光に固執せず、常に自分自身を変化させることを恐れない「変える勇気」にあります。

打撃スタイルの変革

日本ハム時代、長打を捨てて出塁率にこだわるスタイルに変え、大成功を収めた経験が彼の根底にはあります。そして2025年の不振時、彼は再び大きな決断をします。二軍での2ヶ月間、彼は打席での「構え」という、打撃の根幹を成す部分にメスを入れたのです。

「ずっと鏡とにらめっこしていた」という言葉通り、彼はプライドを捨て、ゼロから自分のバッティングを見つめ直しました。この貪欲なまでの探求心と、変化を受け入れる柔軟性こそが、泥沼から這い上がる原動力となったのです。

ポジションの変遷とフィジカルの進化

彼の「変える勇気」は、打撃だけにとどまりません。プロ入り後、二塁手から外野手へ、そして外野の各ポジションをこなし、チーム事情に応じて役割を変えてきました。また、プロ入り時から体重を7kg以上増やし、サーキットトレーニングで強靭な肉体を作り上げるなど、常にフィジカルのアップデートも怠りませんでした。

【野球パパ必見】西川選手の軌跡から学ぶ、子供が壁を乗り越えるヒント

西川選手の復活劇は、スランプや伸び悩みに苦しむ少年野球の子供たち、そしてそれを見守る親にとって、最高の教科書と言えるでしょう。彼の姿から、私たちは何を学び、どう子供に伝えていけばよいのでしょうか。

1. 「変えない武器」を親子で確認する

お子さんが壁にぶつかった時、親がまずすべきことは、できないことばかりを指摘するのではなく、その子が持っている「変わらない武器」を再確認させてあげることです。

それは西川選手のような「足の速さ」かもしれませんし、「誰よりも大きな声を出すこと」「肩の強さ」「ボールに向かっていく勇気」かもしれません。どんな小さなことでも構いません。

「お前の武器は〇〇だ。そこは誰にも負けない。だから自信を持て」

この一言が、子供が自分を見失わずに、次の一歩を踏み出すための揺るぎない土台となります。

2. 「変える勇気」を後押しする

自分の武器を再確認した上で、次に必要なのが「変わる」ことです。しかし、子供一人で変わるのは難しいもの。ここで親の出番です。

西川選手が鏡と向き合ったように、スマホで動画を撮って親子でフォームを確認してみるのもいいでしょう。「少しだけバットの構えを変えてみたら?」「一歩目のスタートを意識してみたら?」と、具体的な選択肢を提示してあげることも有効です。

大切なのは、「変化は逃げではなく、進化だ」というメッセージを伝え続けること。挑戦を恐れず、試行錯誤すること自体の価値を教えてあげましょう。

3. 結果ではなく「過程」を褒める

二軍で結果が出なくても、打撃フォームの改造に取り組んだ西川選手。私たち親も、試合のヒットや勝ち負けといった「結果」だけでなく、子供が取り組んでいる「過程」そのものを認め、褒めてあげることが重要です。

「毎日素振りを続けていて偉いな」「苦手な守備練習から逃げずに頑張っているな」

結果が出ない時こそ、その努力の過程を具体的に言葉にして伝えることで、子供の自己肯定感は育まれ、「もう少し頑張ってみよう」という次へのエネルギーが湧いてくるのです。

まとめ:ベテランが見せる「抗う」姿と子供たちへのメッセージ

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2度の戦力外通告。誰もが「もう終わった」と思ったかもしれません。しかし、西川遥輝選手は諦めませんでした。

彼の野球人生は、順風満帆なエリート街道とはほど遠い、泥臭く、人間味あふれる物語です。それは、日本ハム時代の先輩であり、盟友でもある中田翔選手の引退に際し、彼が語った言葉にも表れています。

「1年でも長くやりたい。そこに少しでも抗ってやりたい」

栄光も挫折も知る33歳のベテランが見せる、運命に「抗う」姿。それこそが、今、少年野球に励む子供たち、そして私たち親の胸を打つのではないでしょうか。

自分の武器を信じ抜く「変えない勇気」。そして、過去の自分を乗り越えようとする「変える勇気」

この二つの勇気を胸に、今日もグラウンドに立ち続ける西川遥輝選手のプレーから、私たちはこれからも目が離せません。