日本ハム復帰の西川遥輝に学ぶ「腐らない心」と逆境を越える力
【音声で聴く】西川遥輝選手の復帰から学ぶ「親子の在り方」
「記事を読む時間がない…」という方は、まずはこちらの音声をお聞きください。
西川選手のドラマチックな復帰劇の裏側と、そこから少年野球の親が学べる「腐らない心」のヒントを、ラジオ感覚で分かりやすく解説しています。(再生時間:約X分)
はじめに:西川遥輝、5年ぶりの古巣復帰が教えてくれること
おかえり、ハルキ!日本ハム復帰のニュースが持つ本当の意味
2025年12月、プロ野球界に一つの大きなニュースが駆け巡りました。かつて北海道日本ハムファイターズの不動のリードオフマンとして、盗塁王を4度も獲得したスピードスター、西川遥輝選手の5年ぶりとなる古巣復帰です。
このニュースを聞いたとき、私は一人の野球ファンとして、そして何より少年野球を頑張る息子を持つ一人の父親として、胸が熱くなるのを抑えられませんでした。
「試合に出られない」「評価されない」と悩む少年野球の君へ
この記事を読んでいるあなたのお子さんは、今、少年野球でどんな状況にいるでしょうか?
もしかしたら、毎週のようにスタメンで活躍し、ヒーローインタビューを受けているかもしれません。しかし、多くの家庭では、そうではない悩みを抱えているのではないでしょうか。
「一生懸命練習しているのに、試合に出してもらえない」
「監督に評価されず、いつもベンチで声を出すだけ」
「ライバルに追い抜かれ、ポジションを奪われてしまった」
「チームの方針と合わず、移籍を考えているけれど、それは逃げじゃないだろうか?」
グラウンドの片隅で、悔し涙を流す我が子の姿を見るのは、親として本当に辛いものです。「あんなに頑張っているのに、どうして報われないんだ」と、指導者や環境に対して不満を抱いてしまうこともあるでしょう。子ども自身も、「どうせ自分なんて必要とされていないんだ」と、心を閉ざしてしまいそうになる時があるかもしれません。
そんな時、私たち親はどんな言葉をかけてあげられるでしょうか?「頑張れ」という言葉が空虚に響き、「監督が悪い」と言えば子供の成長を止めてしまう。正解のない問いに、多くの「野球パパ」「野球ママ」が頭を悩ませています。
この記事で伝えたいこと:逆境こそが「最高の物語」の始まりだ
だからこそ、今、西川遥輝選手の物語を、親子で共有してほしいのです。
彼は天才でした。若くしてレギュラーを掴み、華やかなスポットライトを浴びてきました。しかし、29歳という脂の乗った時期に突きつけられた「ノンテンダー」という通告は、彼のキャリアを大きく狂わせました。そこからの道のりは、決して平坦ではありませんでした。楽天での不完全燃焼、戦力外。ヤクルトでの再起。プライドをズタズタにされるような経験を重ねながら、それでも彼は「腐る」ことを選びませんでした。
もし彼が、球団を恨み、環境を嘆き、練習をおろそかにしていたら、今回の復帰劇は絶対にあり得なかったでしょう。彼が古巣に戻れたのは、過去の実績があるからだけではありません。苦しい時期に見せた「姿勢」と「人間的成長」が、再び彼を必要とする「縁」を引き寄せたのです。
この記事では、西川選手の激動の5年間を振り返りながら、そこから学べる「逆境を乗り越えるマインドセット」や「置かれた場所で輝くための準備の質」について、少年野球の現場に落とし込んで解説していきます。
また、以前の記事で解説した「ヤクルト時代に見せた技術的・精神的な変化」についても触れながら、より深く彼の進化を紐解いていきます。
参考記事:
ヤクルト西川遥輝が復活した理由|輝きを取り戻した「変えない勇気」と「変える勇気」とは
(こちらの記事では、スランプ脱出のための具体的な技術論や思考法について詳しく解説しています。あわせて読むことで、西川選手の凄みがより立体的に理解できます)
今、ベンチで悔しい思いをしている君へ。そして、その背中を見守るお父さん、お母さんへ。
この物語は、きっとあなたたちの「希望」になるはずです。逆境は、終わりではありません。最高の物語(ドラマ)の、始まりなのです。
第1章:エリートからの転落…「ノンテンダー」と「戦力外」の真実

2021年オフの衝撃:ノンテンダーという名の“事実上の解雇”
時計の針を少し戻しましょう。2021年のオフシーズン、プロ野球界に激震が走りました。日本ハムが、主力選手であった西川遥輝選手を含む3選手に対し、「ノンテンダー」とすることを発表したのです。
「ノンテンダー(Non-tender)」とは、メジャーリーグでは一般的な言葉ですが、当時の日本球界では聞き慣れない言葉でした。球団側の説明は「選手が持つ権利(海外FA権など)を尊重し、制約のない状態で交渉の場を提供する」というものでしたが、ファンやメディア、そして何より選手本人にとっては、「来季の契約を提示しない」、つまり「事実上の戦力外通告(解雇)」と受け取らざるを得ないものでした。
当時、西川選手はまだ29歳。キャプテンを務め、チームの顔として君臨していました。確かに成績は全盛期に比べれば落ちていたものの、盗塁王を獲得した実績もあり、まだまだ主力として活躍できる年齢です。それが突然、放り出されるような形になったのです。
この時の彼の心境は、想像を絶するものがあったでしょう。
「自分はこのチームに必要ないのか?」
「今までやってきたことは何だったのか?」
少年野球でも、似たような理不尽さは存在します。監督が変わった途端にレギュラーを外されたり、チームの方針転換で自分のプレースタイルが否定されたり。自分ではどうしようもない「大人の事情」や「環境の変化」によって、居場所を失う恐怖。西川選手が味わったのは、その究極の形でした。
しかし、この時の彼は、公の場で球団批判を展開することはありませんでした。ショックを隠しきれない様子は見せつつも、彼は沈黙を守り、次なる戦いの場を探すことに集中しました。この「感情を爆発させず、事実を受け止める強さ」こそが、後の復活への第一歩だったのです。
楽天での戦力外通告:「自分の実力不足」と向き合った日々
その後、東北楽天ゴールデンイーグルスに拾われる形で移籍した西川選手。2022年の開幕当初は驚異的な活躍を見せ、「ノンテンダーは大間違いだった」と世間を見返しました。しかし、夏場以降に失速。翌2023年は不振に苦しみ、2軍暮らしが続きました。
そして2023年オフ、彼を待っていたのは、2度目の「戦力外通告」でした。
一度ならず二度までも。しかも今度は「ノンテンダー」というオブラートに包まれた言葉ではなく、明確な「戦力外」です。
「もう終わった選手なのか」
「スピードスターの輝きは失われたのか」
世間の評価は冷ややかでした。かつてのエリート選手にとって、これほどの屈辱はありません。プライドが高いと言われてきた彼にとって、自分の価値を否定され続ける日々は、地獄のような苦しみだったはずです。
しかし、後に彼は語っています。「楽天での日々は、自分の実力不足を痛感する貴重な時間だった」と。環境のせいにせず、球団のせいにせず、「結果を出せなかった自分が悪い」と矢印を自分に向けたのです。
少年野球でも、「あの子は監督のお気に入りだから試合に出られるんだ」と、他責にしてしまうことは簡単です。でも、それでは成長は止まってしまいます。西川選手は、最も辛い時期に、最も厳しい現実(自分の実力不足)から目を逸らしませんでした。
【コラム】プライドを捨てる難しさ:かつての盗塁王が「泥臭さ」を手に入れるまで
天才肌で、スマートにプレーする印象が強かった西川選手。若い頃は、その才能ゆえに「生意気だ」と誤解されることもあったかもしれません。しかし、二度の戦力外を経て、彼の野球に対する姿勢は大きく変わっていきました。
週刊ベースボールなどのインタビュー記事(参考:週刊ベースボールONLINE)でも触れられていますが、楽天移籍当初、彼は「拾ってもらった恩義」を口にし、なりふり構わず結果を求める姿勢を見せていました。
かつては「自分のスタイル」に固執していた部分があったかもしれません。しかし、生き残るためには、変化を受け入れ、泥にまみれることも厭わない。そんな「泥臭さ」が、30代を迎えた彼に加わっていきました。
「プライド」とは、過去の栄光を守ることではなく、未来のために今を懸命に生きること。
彼が身をもって示したこの定義は、私たち大人にも深く突き刺さります。子供たちにとっても、「かっこいい」とはユニフォームが汚れていないことではなく、失敗しても立ち上がり、泥だらけでボールを追う姿なのだと、西川選手の背中が教えてくれているようです。
第2章:ヤクルトで見せた「腐らない心」と「準備の質」

新天地での覚悟:「いつ辞めても後悔しない」という決意
2024年、東京ヤクルトスワローズへ移籍。ここが、彼の野球人生の分岐点となりました。
「ここがダメなら引退」という背水の陣。しかし、彼から悲壮感は消えていました。あるのは「野球ができる喜び」と「いつ辞めても後悔しないよう、一日一日をやり切る」という静かなる闘志でした。
ヤクルトには、青木宣親選手や山田哲人選手といった、実績あるベテランやスター選手がいました。西川選手は、彼らと積極的にコミュニケーションを取りながらも、自分の役割を模索しました。レギュラー確約などない立場。代打、代走、守備固め。どんな役割でも、チームの勝利に貢献する。かつての「俺が、俺が」というエースの顔ではなく、「チームの歯車」として機能することに徹する職人の顔がそこにはありました。
出番がなくても準備を怠らない:若手と共に汗を流した2軍球場
ヤクルト時代、特に印象的だったのは、2軍(ファーム)にいる時の彼の姿です。
実績あるベテラン選手が2軍に落ちると、モチベーションを失い、若手との練習に身が入らなくなるケースも少なくありません。「なんで俺がこんなところで」というプライドが邪魔をするからです。
しかし、西川選手は違いました。
炎天下の戸田球場で、親子ほど年の離れた若手選手たちと一緒に、泥だらけになって白球を追いかけました。若手にアドバイスを送り、自らも声を出し、誰よりも真剣にバットを振る。
「腐ったら終わり。見てくれている人は必ずいる」
彼は言葉ではなく、背中でそう語っていました。
この時の彼の姿を見ていたヤクルトの若手選手たちは、多くのことを学んだと言います。「あの西川さんがこれだけやっているんだから、俺たちがやらないわけにはいかない」。彼の影響力は、試合での数字以上に、チームの底力を上げる見えない力となっていました。
少年野球でも、補欠の選手がふてくされずにベンチワークを頑張ったり、道具の手入れを率先して行ったりする姿は、チーム全体の士気を高めます。西川選手は、プロの世界でそれを体現していたのです。
「技術」より「姿勢」が変わった:ヤクルト時代に得た最大の武器とは?
もちろん、精神論だけでなく、技術的な進化もありました。
ヤクルト時代、彼はフォームの微調整や、配球の読みなど、ベテランならではの「頭を使った野球」に磨きをかけました。身体能力の衰えを、経験と技術でカバーする。その具体的なアプローチについては、以前の記事で詳しく解説しています。
あわせて読みたい:
【技術解説】ヤクルト西川遥輝が復活した理由|輝きを取り戻した「変えない勇気」と「変える勇気」とは
(こちらの記事では、彼がどのようにバッティングフォームを修正し、スランプを脱出したのかを技術的な視点から深掘りしています。野球少年の技術向上にも役立つヒントが満載です)
しかし、ヤクルト時代に彼が得た最大の武器は、やはり「腐らない心」と「準備の質」でした。
いつ出番が来るかわからない代打待機。一度のチャンスで結果を出さなければならないプレッシャー。その中で結果を残すためには、心と体の準備を極限まで高めておく必要があります。
「準備していなかったら、チャンスが来た時に掴めない」
これは、少年野球の子供たちにもそのまま当てはまる真理です。いつ監督に呼ばれてもいいように、ベンチで何をしているか。試合に出ていない時間をどう過ごすか。それが、君の未来を決めるのです。
第3章:なぜ古巣・日本ハムは彼を呼び戻したのか?
新庄監督が求めたピース:「走れる」だけじゃない「背中で語れる」男
そして2025年オフ、日本ハムへの復帰が決まりました。
新庄剛志監督は、なぜ一度放出した選手を、5年の時を経て呼び戻したのでしょうか? 戦力的な補強ポイント(外野手、左打者、走力)に合致したことはもちろんですが、それ以上に大きな理由があると考えられます。
それは、現在の日本ハムが「若いチーム」だからです。
新庄監督の下、若手が躍動し、勢いのあるチームへと変貌を遂げた日本ハム。しかし、若さゆえの脆さや、経験不足が露呈する場面もありました。そこに必要だったのが、「酸いも甘いも噛み分けたベテランの存在」です。
ただのベテランではありません。「栄光」と「挫折」の両方を知り、チームから弾き出される悔しさを味わい、それでも這い上がってきた男。そんな西川選手の生き様こそが、若い選手たちにとって最高の生きた教材になると、新庄監督は判断したのではないでしょうか。
「俺が引っ張る」と言葉で牽引するキャプテンシーではなく、苦しい時こそ準備を怠らない「背中で語るリーダーシップ」。それこそが、今の日本ハムに欠けていた最後のピースだったのです。
わだかまりを超えて:「変な思いはもうない」と言える強さ
わだかまりを超えて:「変な思いはもうない」から「最後はここで」へ
復帰にあたり、多くのファンが気にしたのは「球団との確執」でした。ノンテンダーという衝撃的な別れ方をした古巣に、わだかまりはないのか?
しかし、その懸念は杞憂でした。彼はヤクルト在籍時の2024年6月、交流戦で古巣と対戦した際に、こう語っています。
「変な思いはもうない。(ファイターズと)野球をやることが楽しい」
(出典:Full-Count 2024年6月10日配信『日本ハムに「変な思いもうない」 ノンテンダーから3年…西川遥輝が語る古巣への想い』より)
時間は、確実に傷を癒やしていました。他球団で揉まれ、自分の力で居場所を勝ち取ってきた自信が、彼を前へと進ませたのです。
そして2025年12月、復帰が決まった際に彼が球団を通じて発表したコメントは、ファンの涙を誘いました。
「スワローズから戦力外と伝えられた時、最後に野球をやるとしたらファイターズしかない、と頭に浮かびました」
「許す」とか「和解」という次元を超えて、彼は自分の野球人生の集大成を飾る場所として、愛する古巣を選んだのです。過去の憎しみや恨みをエネルギーにする段階を卒業し、「感謝」と「恩返し」を原動力に変える。その精神的な成熟こそが、今回の奇跡的な復帰劇を引き寄せた最大の要因ではないでしょうか。
「必要とされる場所」は、必ず巡ってくるという証明
西川選手の復帰劇は、私たちに一つの希望を与えてくれます。
それは、「真摯に努力を続けていれば、必要としてくれる場所は必ず巡ってくる」ということです。
一度は捨てられた場所かもしれない。全く新しい場所かもしれない。でも、見てくれている人は必ずいます。「あいつは腐らずに頑張っていた」「あいつならチームを助けてくれる」。そう評価される日は、必ず来ます。
少年野球で今、評価されずに苦しんでいる親子も、どうか焦らないでください。今のチームで評価されなくても、中学、高校、あるいは別のチームで、君の努力を必要としてくれる指導者に出会えるかもしれません。大切なのは、その時が来るまで、自分を磨き続けることです。
第4章:少年野球の現場へ…「今、ベンチにいる君」にできること
評価は他人がするもの、準備は自分でするもの
ここからは、西川選手の物語を、少年野球の現場に落とし込んでいきましょう。
もし、あなたのお子さんが「試合に出られない」と悩んでいたら、西川選手の例を挙げて、こう伝えてあげてください。
「監督が試合に出すかどうか(評価)は、監督が決めることだよね。これは君にはコントロールできない。でも、『いつ試合に出てもいいように準備すること』は、君自身で決められるし、コントロールできることだよね」
コントロールできないこと(他人の評価、試合結果)に悩むより、コントロールできること(自分の準備、練習態度)に全力を注ぐ。これが、プロフェッショナル(一流)の考え方です。西川選手も、ノンテンダーや戦力外という「コントロールできない理不尽」に直面しましたが、そこで腐らずに「次のチームで活躍するための準備」に集中しました。
「ふてくされる」は一番の損:見てくれている人は必ずいる
ベンチでふてくされた態度をとる。道具を乱雑に扱う。監督の悪口を言う。
気持ちはわかりますが、これは「一番の損」です。なぜなら、それを見た周囲の人は「あの子は実力があっても、チームには必要ないな」と判断するからです。
逆に、試合に出られなくても、ランナーコーチャーを全力でやる、大きな声で仲間を応援する、バット引きを率先してやる。そういう姿を、大人は意外と見ています。監督だけでなく、相手チームの監督や、スタンドの保護者、そして野球の神様が。
西川選手がヤクルトの2軍で若手と共に汗を流したように、置かれた場所で全力を尽くす姿勢は、必ず誰かの心を動かします。それが、次のチャンス(レギュラー抜擢や、進学先での評価)に繋がるのです。
環境を変える(移籍する)ことは「逃げ」ではない:西川選手の流浪が証明したこと
少年野球の世界では、「チームを移籍すること」に対してネガティブなイメージを持つ親御さんもいます。「途中で投げ出すのは良くない」「逃げ癖がつく」と。
しかし、西川選手のキャリアを見てください。日本ハム→楽天→ヤクルト→日本ハム。彼は環境を変えることで、新しい自分を発見し、成長し、そしてまた必要とされました。
もし、今のチーム環境が、お子さんの心身の健康を害するものであったり、成長を著しく阻害するものであったりするならば、「環境を変える(移籍する)」ことは「逃げ」ではなく「戦略的な選択」です。
自分に合う指導者、自分を必要としてくれるチームを探すことは、悪いことではありません。ただし、重要なのは「前のチームの悪口を言って辞める」のではなく、「新しい場所で絶対に成長する」という覚悟を持って移籍することです。西川選手が、古巣への恨み言を言わずに結果で示したように。
第5章:親ができる「腐らない心」の育て方
結果ではなく「取り組み」を褒める:家庭での声かけ術
では、親は家庭でどう接すればいいのでしょうか?
ついつい、「今日はヒット打った?」「なんでエラーしたの?」と結果ばかり聞いてしまいがちです。しかし、試合に出られない子にとって、結果の話は辛いものです。
これからは、「取り組み(プロセス)」に注目して声をかけてみてください。
「今日はベンチで一番声が出ていたね」
「試合には出られなかったけど、キャッチボールの相手を一生懸命やっていたの、パパは見てたよ」
「誰よりも早くグラウンド整備をしていたね。かっこよかったよ」
西川選手が2軍で評価されたのは、腐らず練習に取り組む「姿勢」でした。親がその「姿勢」を認め、褒めてあげることで、子供は「試合に出られなくても、自分の頑張りは無駄じゃないんだ」と自己肯定感を保つことができます。これが「腐らない心」の栄養源になります。
子供の愚痴をどう聞くか?:共感しつつ、視点を未来に向ける方法
子供が「監督ムカつく」「もう辞めたい」と愚痴を言ってきた時。
頭ごなしに「そんなこと言うな!」と叱ったり、逆に一緒になって監督の悪口を言ったりするのはNGです。
まずは、「そうか、試合に出られなくて悔しいんだね」「納得いかないんだね」と、子供の感情に共感してあげてください。ガス抜きをさせてあげることが大切です。
その上で、少し落ち着いたら、視点を未来(自分ができること)に向けてあげましょう。
「西川選手もね、チームをクビになった時、すごく悔しかったと思うよ。でも、そこで腐らずに練習したから、またプロで活躍できて、日本ハムに戻れたんだって。〇〇君なら、今、何ができるかな?」
偉大な選手の物語を借りることで、説教臭くならずに、子供に「気づき」を与えることができます。
親子で語ろう:西川選手の物語から学ぶ「諦めないカッコよさ」
今夜の夕食時、ぜひお子さんと西川選手の話をしてみてください。
「西川選手、日本ハムに戻るんだって!すごいね」
「一度クビになったのに、諦めずに頑張ったから、また必要とされたんだね」
YouTubeで西川選手のプレー動画(全盛期の盗塁や、他球団での泥臭いヒットなど)を一緒に見るのも良いでしょう。
「かっこいい選手」の定義を、単に「ホームランを打つ人」から、「何度転んでも立ち上がる人」へと広げてあげること。それが、親から子へ贈れる最高のギフトです。
まとめ:野球の神様は「準備している奴」が好きだ
西川遥輝の物語は、まだ終わらない
西川遥輝選手の物語は、日本ハム復帰でハッピーエンドではありません。ここからが、本当の勝負です。若手との競争、かつてのような絶対的なレギュラーではない立場、そして年齢との戦い。
しかし、どん底を知り、這い上がってきた今の彼なら、きっとどんな立場でもチームに貢献し、ファンを魅了してくれるはずです。その姿は、かつてのスピードスターとは一味違う、燻し銀の輝きを放つでしょう。
君の野球人生も、ここからが面白い
少年野球を頑張る君へ。
今、思い通りにいかなくて、野球が嫌いになりそうになっているかもしれません。でも、大丈夫。君の野球人生は、まだ始まったばかりです。
エラーも、三振も、補欠も、すべては君が将来「あの時があったから強くなれた」と語るための、物語のスパイスです。
さあ、明日もグラウンドへ行こう
お父さん、お母さん。
子供が壁にぶつかっている時こそ、親の愛とサポートが試されます。技術を教えることはできなくても、「腐らない心」を育てることはできます。
西川選手のように、どんな時でも前を向き、準備を怠らない。そんな逞しい心を、親子二人三脚で育てていってください。
野球の神様は、ホームランを打つ天才よりも、泥だらけになって準備し続ける君のことが、きっと大好きです。
さあ、明日もグラウンドへ行きましょう。
そこには、まだ見ぬドラマと、成長のチャンスが待っています。
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