負けた試合の帰り道、黙り込む我が子に何を伝えればいいのだろう。
励ましたいのに、「次がある」「もっと練習すれば大丈夫」という言葉が、かえって傷を深くしそうで迷うパパも多いはずです。
2026年7月25日、明徳義塾は高知大会決勝で高知中央を3―0で破り、2年ぶり24度目となる夏の甲子園出場を決めました。4番・里山楓馬選手が全3打点を挙げた勝利ですが、その背景には、同じ相手に敗れた昨夏、里山選手の故障、あと一歩で逃したセンバツという、簡単には片づけられない一年があります。
ただし、勝てたから挫折が美談になったわけではありません。
今回の記事では、強豪校の雪辱を「根性で乗り越えた物語」にせず、負けた直後に答えを迫らない理由、親が近づく時と離れる時の見極め方、そして悔しさを小さな行動へ変える方法に翻訳します。
野球未経験のパパでも家庭で実践できる、我が子の再挑戦を急かさず支える距離感を一緒に考えていきましょう。
明徳義塾がつかんだ「24度目の夏切符」を結果だけで見ない
高知中央との再戦を3―0で制し、県勢単独最多となる夏24度目の甲子園へ
明徳義塾は2026年7月25日、高知大会決勝で高知中央に3―0で勝利しました。2024年以来2年ぶり、24度目となる夏の甲子園出場です。これまで高知商と並んでいた夏23度の記録を更新し、県勢単独最多となりました。
「24度目」と聞くと、強豪校なら甲子園へ行って当然のように感じるかもしれません。しかし、その数字の間には、出場できなかった年も、決勝で敗れた夏もあります。
実際に明徳義塾は、前年の2025年にも同じ高知中央と決勝で対戦し、2―3で敗れていました。相手も舞台も同じだった今回の決勝は、単なる24度目の出場決定戦ではなく、前年に越えられなかった壁ともう一度向き合う再戦でもあったのです。
だからといって、勝利を「強い気持ちでリベンジした」の一言で片づけてはいけません。元記事が伝える明徳義塾の24度目の夏切符と昨夏の雪辱を起点に試合を詳しく見ると、勝敗を分けたのは、好機で一つずつ役割を果たす精度でした。
里山楓馬の全3打点は二つの犠飛と適時打——4番の価値はホームランだけではない
4番・捕手の里山楓馬選手は、明徳義塾が挙げた全3打点を記録しました。
初回一死一、三塁では右翼への先制犠飛。3回一死満塁では中堅への犠飛。そして8回一死三塁では、右翼への適時打を放ちました。
目を引くのは「4番が全3打点」という数字ですが、その内訳に本当の学びがあります。3打点のうち二つは本塁打でも長打でもなく、外野への犠牲フライでした。
少年野球では、子どもも大人も「4番なら遠くへ飛ばしてほしい」「ヒットを打ってほしい」と期待しがちです。しかし、得点が必要な場面では、安打にならなくても走者を還せば役割を果たせます。里山選手の打撃は、4番の価値が豪快さだけではないことを教えてくれます。
我が子が凡退したときも、結果欄に「アウト」と書かれているだけで評価を終わらせないことが大切です。進塁打になったのか、走者を還したのか、相手に球数を投げさせたのか。その場で求められた役割を見れば、安打数とは違う貢献が見えてきます。
6安打対5安打でも生まれた3点差——継投、無失策、好機での役割遂行が勝敗を分けた
明徳義塾は6安打、高知中央は5安打。安打数の差はわずか1本でした。それでも最終スコアは3―0です。
高知中央も走者を出せなかったわけではありません。4回一死満塁、6回一死二、三塁、8回二死一、二塁など、得点できる場面を何度もつくっています。それを明徳義塾の投手陣と守備がしのぎました。
先発の藤本優善投手から田宮諒太郎投手への継投が機能し、守備は無失策。攻撃では犠飛などで走者を確実に還しました。決勝の打席ごとの経過を記録した試合テキスト速報を見ると、3―0は一人の活躍だけで生まれたのではなく、複数の局面が積み重なった結果だと分かります。
少年野球の敗戦後、「あの三振がなければ」「あのエラーで負けた」と、一つのプレーだけが責められることがあります。しかし、試合は一球で構成されているわけではありません。攻撃、守備、走塁、声かけ、ベンチワークを含む多くの場面の総和です。
一人の失敗に敗因を背負わせないこと。これは戦術以前に、大人が守らなければならないチームの安全性だと思います。

雪辱までの一年は、一直線の成功物語ではなかった
2025年の同じ決勝、同じ相手に2―3で敗れたところから始まった再挑戦
2025年の高知大会決勝でも、対戦カードは明徳義塾と高知中央でした。その試合では高知中央が3―2で勝利し、甲子園への切符を手にしています。高知中央の学校発表でも、2年ぶり2度目の甲子園出場が決まったことが伝えられています。
明徳義塾にとっては、先行しながら逆転を許した敗戦でした。あと一歩まで進んだ決勝で負ける痛みは、早い段階で敗退する痛みとは、また違うものがあるでしょう。
ただし、私たちが「悔しかったに違いない」と想像を膨らませ、選手一人ひとりの心情を決めつけることはできません。同じ敗戦でも、怒りを感じる子、しばらく考えたくない子、次の目標へすぐ向かえる子がいます。
これは少年野球でも同じです。チーム全体には「雪辱」という物語があっても、我が子が同じ熱量でその物語を背負いたいとは限りません。
前年の敗戦は再挑戦の出発点にはなります。しかし、それを一年間ずっと燃やし続けなければならない義務に変えると、子どもの心を追い込んでしまいます。
肘の故障と捕手交代——里山自身も「去年の悔しさ」だけでは語れない
里山選手の歩みも、前年決勝で負けてから順調に成長したという単純なものではありません。
2025年夏は里山選手に故障があり、藤森海斗選手が捕手を務めたと地元局の記事で報じられています。
故障した選手にとって、復帰までの時間は「悔しさを練習に変えればいい」と言えるほど単純ではありません。練習したくてもできない。チームが進んでいく横で、自分は治療や調整を優先しなければならない。競技への焦りと身体を守る判断がぶつかる期間です。
少年野球でも、痛みを抱えた子に「大事な試合だから」「少しくらいなら」と無理をさせてはいけません。小さな痛みでも医療機関を受診し、親だけで判断しないことが大切です。
休むことは、再挑戦から離れることではありません。身体を回復させることも、競技を続けるための大切な一歩です。復帰後の一球には、スコアに残らない価値があります。
秋の四国大会でセンバツを逃し、準決勝では3点差を逆転した揺れ続ける道のり
明徳義塾の新チームは、里山選手を中心に始動し、2025年秋の高知県大会を制しました。しかし、四国大会準決勝では英明に1―2で敗れ、2026年春のセンバツ出場を逃しています。秋の四国大会での敗戦とセンバツ逸失を伝えた記事からも、あと一歩で春の甲子園に届かなかった経過が分かります。
そして夏の高知大会準決勝でも、土佐を相手に7回まで0―3。順調な勝ち上がりとは言えない状況でした。そこから8回に4点を挙げ、4―3で逆転して決勝へ進みます。高知大会準決勝を伝えた地元局の記事には、この逆転勝ちと続木虎太朗主将の前年決勝への思いが記録されています。
前年夏の決勝敗退、故障、秋の敗戦、夏の準決勝での劣勢。今回の甲子園出場までには、何度も状況が揺れています。
勝った後から振り返ると、過去の敗戦や故障がすべて優勝へつながる伏線だったように見えます。しかし、進んでいる最中には、未来の結果など誰にも分かりません。
だから、いま負けた我が子に「この経験は必ず将来のためになる」と断言しないほうがよいのです。親が言えるのは、「今日の結果で、あなたの全部が決まったわけではない」くらいではないでしょうか。
なぜ親は、負けた直後の我が子に答えを求めてしまうのか
沈黙に耐えられないのは子どもではなく、何もできない自分が怖い親かもしれない
試合後、子どもが黙っていると、親は何か言わなければならない気持ちになります。
「どうしてあの球を振らなかったの?」
「監督から何を言われた?」
「次はどうするつもり?」
どれも、子どものためを思って出てくる言葉かもしれません。しかし、負けた直後の質問には、子どもを理解したい気持ちだけでなく、何もできない親自身の不安が混ざることがあります。
親は試合に出られません。代わりに打つことも、守ることもできません。だから言葉によって状況を整理し、早く次へ進ませたくなります。
けれども、子どもの沈黙は「答えがない状態」ではありません。気持ちを整理している途中かもしれないし、今は野球から離れたいという意思表示かもしれません。
沈黙をすぐに埋めず、一緒にいられること。技術を教えられない未経験パパにもできる、立派な支え方です。
「次がある」「いい経験になった」が届かない——正論が感情を追い越す瞬間
「次があるよ」は、事実かもしれません。
「いい経験になったよ」も、時間がたてばそう思える可能性があります。
しかし、いま終わった大会に懸けていた子にとって、「次」はまだ見えていません。悔しさや悲しさを感じている最中に未来の意味を渡されても、気持ちが追いつかないことがあります。
正論が間違っているのではありません。順番が早すぎるのです。
転んで膝をすりむいた直後に、走り方の改善点を説明されても痛みは消えません。敗戦も同じで、まず必要なのは分析より、起きたことを受け止められる安全な時間です。
親が早く立ち直らせようとするほど、子どもは「まだ悔しがっている自分は弱い」「前向きになれない自分はダメだ」と感じることがあります。
励ましが届かないときは、言葉が足りないのではなく、言葉を置く時期がまだ来ていないのかもしれません。
親の悔しさと子どもの悔しさを混ぜると、敗戦が自己否定に変わってしまう
我が子が三振した。エラーをした。出場できなかった。親も当然、悔しさを感じます。
問題は、親が悔しがることではありません。その感情を子どもの課題として返してしまうことです。
「もっと練習しておけばよかったのに」
「せっかく送迎してきたのに」
「本気で勝ちたいと思っていたの?」
こうした言葉には、親が費やした時間や労力、期待が含まれています。子どもはプレーの失敗だけでなく、「親をがっかりさせた」という重荷まで背負うことになります。
そうなると、敗戦は「今日は勝てなかった」という出来事ではなく、「自分は期待に応えられない人間だ」という自己否定に変わりかねません。
子どもが主役で、親はコントロールしない。これは、距離を置いて無関心になるという意味ではありません。親自身の感情と子どもの感情を分け、子どもが自分のペースで敗戦を受け止められる環境をつくるということです。

試合直後から翌日まで、パパが守りたい三つの距離感
帰りの車内では技術講評を始めず、「話したいか、静かにしたいか」を本人に選んでもらう
試合直後の車内を、臨時の反省会場にしない。まずは、ここから始めてみてください。
親は試合を外から見ていたため、フォームの崩れや守備位置など、気づいたことがたくさんあります。しかし、それをすぐ伝える必要があるとは限りません。
最初の問いは、技術に関するものではなく、会話の主導権を返すものにします。
「今日は話したい? それとも少し静かにしたい?」
話したくないと言われたら、それを拒絶と受け取らず、選択を尊重します。子どもが自分で話す時期を決められるだけでも、気持ちの安全性は大きく変わります。
試合や練習の映像を振り返りに使う場合も、子どもが見たいと言ったときに使うことが大切です。役立つ資料であっても、押しつければ監視や批判に変わります。
記録も助言も、内容だけでなく渡すタイミングが重要なのです。
感情を決めつけずに聞く——「悔しいよね」より「いま、どんな気持ち?」
「悔しいよね」という言葉は共感に見えます。しかし、子どもの感情が本当に悔しさだけだとは限りません。
出番が終わってほっとしているかもしれない。仲間への申し訳なさがあるかもしれない。監督の言葉に納得できていないかもしれない。あるいは、自分でもまだ分からないかもしれません。
そのため、「いま、どんな気持ち?」と余白のある聞き方をします。
答えがなければ、さらに質問を重ねる必要はありません。「まだ分からない」も立派な答えです。
子どもが話したときも、すぐに原因分析へ移らず、「そういうことがあったんだね」と受け止めます。賛成や反対を決める前に、その子から見えた事実を聞くのです。
表情や態度だけで内面を判断しないことも大切です。緊張やストレスが強いと笑ってしまう子もいます。外から不真面目に見えても、内側では苦しさを処理している場合があります。
翌日以降も急がない——話し始めたら評価せず、まず起きた事実を受け止める
一晩たてば反省会をしてよい、という一律のルールもありません。回復の速度は子どもによって違います。
翌日になって子どもが話し始めたら、最初にすることは評価ではなく整理です。
「満塁で打てなかった」
「守備で足が動かなかった」
「ベンチにいるのがつらかった」
こうした言葉に対して、「でも仕方ない」「練習不足だ」と結論を返す前に、「満塁の場面がずっと残っているんだね」「ベンチでそう感じていたんだね」と、起きた事実と感情を受け止めます。
監督や仲間への不満が出ても、すぐに誰かを悪者にしないことが大切です。指導内容、言い方、子どもの受け止め方、安全上の問題を分けて考えます。
ただし、人格否定、暴力、故障を隠した出場強要まで「スポーツだから」と我慢させる必要はありません。見守ることと放置することは違います。安全が脅かされている場合は、親が明確に子どもを守るべきです。
悔しさを燃やし続けず、子ども自身の「次の一つ」へ翻訳する
「絶対に勝つ」ではなく、自分で実行を確認できる小さな行動目標に変える
気持ちが落ち着き、子ども自身が次へ進みたいと思い始めたら、敗戦を小さな行動へ翻訳します。
「次は絶対に勝つ」
「レギュラーになる」
「もうエラーしない」
こうした目標は気持ちを高めますが、相手、選考、打球の難しさなど、自分だけでは決められない要素を含んでいます。達成できなかったとき、努力全体が無意味に感じられる危険もあります。
そこで、本人が実行したかどうかを確認できる目標に変えます。
「試合前に送球を10球確認する」
「一打席ごとに呼吸を整える」
「次の練習で分からないことを一つ質問する」
「得点圏では外野フライも選択肢に入れる」
大切なのは、親が目標を決めて渡すことではありません。「変えられないことと、次に変えられることを一つずつ挙げるなら?」と尋ね、子どもが選べるようにすることです。
里山の二つの犠飛から学ぶ——派手な結果より、その場で果たせる役割を見る
里山選手の全3打点は、少年野球の目標設定にも分かりやすいヒントをくれます。
本塁打は打てるときもあれば、打てないときもあります。しかし、一死三塁で外野へ運ぶ、追い込まれたら打球方向を変えるといった準備は、自分の役割として意識できます。
これは「最低限だけ狙えばよい」という話ではありません。状況に応じて、自分がチームに渡せるものを考えるということです。
守備なら、難しい打球をすべて捕ることではなく、カバーへ走る。投手なら、三振を奪うことだけでなく、苦しい場面でも捕手のサインを確認する。ベンチなら、出場できなくても次の打者へ情報を伝える。
子どもを褒めるときも、「すごい選手だ」という大きな評価だけでなく、「三振の後の守備で声を出していたね」「カバーを忘れなかったね」と、再現できる行動を言葉にします。
具体的な行動は、次の試合でも本人が選び直せます。そこに、結果に振り回されにくい自信の土台ができます。
結果表に残らない前進を拾う——強い打球、カバー、声かけ、復帰後の一球
スコアブックには、安打、打点、失策などが記録されます。しかし、子どもの成長のすべてが数字になるわけではありません。
安打にならなかった強い打球。失点を防いだバックアップ。苦しい投手への声かけ。三振した次の守備への切り替え。故障から復帰して投げられた一球。
こうした前進は、結果だけを見ていると通り過ぎてしまいます。
親が拾いたいのは、専門的なフォームの良し悪しより、子どもが選んだ行動です。技術指導は監督やコーチに任せ、親は「次回も続けてほしい行動」を見つける役割に回れます。
指導者に尋ねる場合も、「なぜ打てなかったのでしょうか」ではなく、「今日の中で、次回も再現してほしい行動は何ですか」と聞けば、結果だけではない視点を共有しやすくなります。
負けた試合にも、前進はあります。それを無理に成功物語へ変えるのではなく、実際に起きていた小さな事実として拾うのです。
「挫折は成長の糧」という美談から、我が子を守る
努力は結果を保証しない——それでも次の選択肢を増やすことはできる
「努力すれば必ず報われる」という言葉は魅力的です。しかし、野球には相手がいます。天候、体調、けが、判定、チーム事情など、本人の努力だけでは動かせない要素もあります。
今回、明徳義塾は前年と同じ相手に勝ちました。だからといって、勝利が努力の証明で、敗れた高知中央の努力が足りなかったことにはなりません。
高知中央も5安打を放ち、何度も得点圏へ走者を進めています。最終結果は0点でも、そこまでの準備や一年間の価値までゼロになるわけではありません。
努力は結果を保証しません。それでも、できるプレーを増やし、次に選べる行動を増やすことはできます。
この現実的な伝え方なら、勝てなかった子を努力不足で切り捨てず、それでも取り組む意味を失わせません。親が渡したいのは成功の保証ではなく、結果が出ないときにも自分の次を選べる感覚です。
雪辱が燃料になる子も、重荷になる子もいる——思い出し方を強制しない
前年の敗戦映像を見て気持ちが高まる子もいます。相手の名前を意識すると集中できる子もいます。
一方で、同じ映像を見るたびに身体が固くなる子もいるでしょう。「絶対に借りを返せ」と言われるほど、失敗できない重圧を感じる子もいます。
雪辱は、本人が選べば燃料になります。しかし、大人が背負わせれば重荷にもなります。
「去年のことを思い出すと力になる? それとも苦しくなる?」
この確認が必要です。
チームが掲げる目標と、子どもの心の回復は同じ速度で進むとは限りません。忘れたい子に思い出させ続ける必要はありませんし、悔しさを抱えている子に早く忘れさせる必要もありません。
挫折との向き合い方にも、子ども自身の選択があってよいのです。
続ける、離れる、別の役割を選ぶ——どの決断にも回復と成長はある
挫折からの成長は、同じ競技を続けて勝つことだけではありません。
野球を続ける。少し休む。別のポジションを選ぶ。選手ではない役割でチームに関わる。あるいは、競技そのものから離れる。
どれも、本人が考えて選んだのであれば大切な決断です。
中学で軟式野球部に所属した後、高校の硬式野球を取り巻くレベルや環境の違いに悩み、野球部へ入らない選択をする子もいます。それでも野球との縁が終わるとは限らず、地域の活動を手伝ったり、試合を観戦したりする関わり方もあります。
また、兄弟で同じ競技を選ぶとは限りません。一人が野球を選び、もう一人が別の競技へ取り組むこともあります。同じ家庭の成功体験を、別の子どもへそのまま再現することはできないのです。
継続そのものを唯一の価値にしてしまうと、離れる子は「挫折に負けた人」になります。しかし、納得して別の道を選ぶことにも回復と成長があります。
親の役割は、正しい道へ戻すことではありません。子どもが自分の道を選べる状態を守ることです。

まとめ
明徳義塾の雪辱の実体は、根性論ではなく小さな役割遂行の積み重ね
明徳義塾は、前年と同じ高知中央との決勝を3―0で制し、県勢単独最多となる24度目の夏の甲子園出場を決めました。
しかし、その雪辱の実体は、「悔しさを忘れなかったから勝てた」という精神論だけではありません。
里山選手が二つの犠飛で走者を還す。投手陣が得点圏で踏ん張る。必要な場面で継投する。守備が無失策でアウトを積み重ねる。
大きな勝利は、小さな役割遂行の集合でした。
少年野球の我が子にも、いきなり敗戦の意味や一年後の成功を求める必要はありません。まず今日の気持ちを守り、落ち着いたときに、本人が選べる「次の一つ」へ翻訳していけばよいのです。
パパが今日持ち帰る三つの約束——急かさない、決めつけない、目標を増やしすぎない
負けた直後の我が子を支えるために、パパが持ち帰りたい約束は三つです。
一つ目は、急かさないこと。帰りの車内を反省会にせず、話すか、静かにするかを本人に選んでもらいます。
二つ目は、決めつけないこと。「悔しいよね」と感情を先回りせず、「いま、どんな気持ち?」と聞きます。答えがなくても構いません。
三つ目は、目標を増やしすぎないこと。「絶対に勝つ」「毎日素振りする」「守備も打撃も直す」と課題を積み上げず、本人が確認できる行動を一つ選びます。
伝えるなら、こんな言葉で十分です。
「今日は答えを出さなくていい。落ち着いたら、次に自分で変えたいことを一つ一緒に考えよう」
親が正解を渡さなくても、子どもは自分の速度で次へ進めます。
勝っても負けても、今しかない親子の野球時間を一緒に味わおう
勝った試合はうれしい。負けた試合は苦しい。それは親も同じです。
けれども、親子の野球時間は、勝利だけでできているわけではありません。送迎、応援、沈黙、少しずつ戻ってくる会話。そのすべてが、後から振り返れば二度と同じ形では戻らない時間です。
親は無理に立ち直らせなくていい。代わりに答えを決めなくていい。技術を教えられなくても、安心して悔しがれる場所はつくれます。
無理はさせない。けれど、放置もしない。
近づくときと離れるときを考えながら、子どもが自分で次の一歩を選ぶのを待つ。それが、野球経験ゼロのパパにもできる、再挑戦への力強い伴走です。
勝っても、負けても、続けても、離れても。
今しかない親子の野球時間を、一緒に味わっていきましょう。
