松井秀喜の金言「残り21時間」が教える親の役割。令和の少年野球にこそ必要な「昭和の心」と挨拶の力

夕暮れの帰り道、近所の人に挨拶をする野球少年と父親(生成AIによるイメージ) 少年野球パパの応援指南

松井秀喜の金言「残り21時間」が教える親の役割。令和の少年野球にこそ必要な「昭和の心」と挨拶の力

「パパ、野球教えてよ」

息子が目を輝かせて言ってきたあの日。キャッチボールすらまともにできない私は、その言葉にドキッとし、同時に胸が締め付けられるような申し訳なさを感じました。「ごめんな、パパは野球やったことないから……」。そう言って逃げるのは簡単です。でも、これから長い少年野球生活、ずっと逃げ続ける父親でいいのか? 技術を教えられない自分には、何の価値もないのか?

そんな風に悩み、グラウンドの隅っこで小さくなっているパパはいませんか?

もしあなたが今、そう感じているなら、この記事はあなたのためのものです。そして、つい先日、宮崎の地から届いた松井秀喜氏の言葉が、あなたのその迷いを吹き飛ばしてくれるはずです。

「野球の練習は3時間。残りの21時間をどう使うかが大事」

これは、技術の話ではありません。生き方の話であり、私たち親にしかできない「役割」の話です。

この記事では、国民的スターである松井秀喜氏のこの新しい金言を紐解きながら、技術指導ができない未経験パパこそが担うべき「最強のサポート」について、私の実体験を交えて熱く語らせてください。

それは、令和の時代には「滑稽だ」と笑われるかもしれない、泥臭くて、昭和的な、でもとてつもなく温かい「心の教育」の話です。挨拶、礼儀、感謝。これらが、どれほど子供の野球人生を豊かにし、技術そのものを伸ばす土台となるか。地域の方々に支えられてきた私の経験から、確信を持ってお伝えします。

読み終えた時、あなたはきっと、バットの握り方を教える代わりに、息子さんと一緒に大きな声で「おはようございます!」と言いたくなるはずです。そして、未経験であることを誇りに思えるようになるでしょう。

さあ、一緒に「残り21時間」のプロデューサーになりましょう。

この記事のポイントを、パパ友同士の会話形式でわかりやすく解説した音声コンテンツです。(AI生成)

※AI生成による音声コンテンツにて、発音や読み方に違和感ございますが、ご了承ねがいます。

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松井秀喜氏が説く「野球以外の21時間」の正体

2026年2月、プロ野球・読売ジャイアンツの春季キャンプ。宮崎の空の下で、臨時コーチを務めた松井秀喜氏が、若手選手たちに向けて放った言葉が、いま静かな波紋を広げています。

「野球の練習をしている時間は、1日のうちでせいぜい3時間か4時間。それ以外の20時間、21時間をどう過ごすか。それが君たちの野球人生を決める」

この言葉を聞いた時、私は鳥肌が立ちました。これはプロ野球選手だけに向けられた言葉ではありません。むしろ、これから野球を始める子供たち、そして何より、「技術を教えられない」と嘆く私たち親世代に向けられた、最高の福音(ふくいん)ではないでしょうか。

練習の3時間はコーチの領域、残りの21時間は親の領域

少年野球の現場を見てみましょう。週末の練習は、朝から夕方まで行われることもありますが、平日の放課後練習や、実際にバットを振り、ボールを投げている「技術習得の時間」というのは、松井氏の言う通り、1日24時間のうちのほんの一部です。

この「3時間(技術練習)」に関しては、正直なところ、私たち未経験パパが出る幕はほとんどありません。餅は餅屋、野球は野球経験者やコーチに任せるのが一番です。YouTubeで見たばかりの知識で「もっと脇を締めろ!」なんて言ったところで、子供は混乱するだけですし、コーチの指導と食い違えばチーム内での立場も悪くなります。

しかし、残りの「21時間」はどうでしょうか?

  • 朝、何時に起きて、どんな顔で起きてくるか。
  • 学校に行く前、家族にどんな言葉をかけるか。
  • 学校で友達や先生とどう接するか。
  • 家に帰ってきて、脱いだ靴をどうするか。
  • 夕食をどう食べ、お風呂に入り、何時に寝るか。
  • 道具を磨いている時の眼差しはどうか。

これらはすべて、グラウンドの外で行われることです。コーチの目の届かない場所、つまり家庭と学校、そして地域社会の中で行われる営みです。

この「21時間」の責任者は誰か? 間違いなく、私たち親です。

松井氏は言います。「練習以外の時間をどう過ごすかが、練習の質を変える」と。つまり、未経験パパである私たちが、この「21時間」をしっかりとマネジメントし、子供が野球に向き合うための最高の心と体の準備を整えてあげること。これこそが、技術指導以上の「英才教育」なのです。

「カーブの投げ方は教えられないけど、誰よりも早く寝て、誰よりも元気よく起きる方法は教えられるぞ」
「バッティングのフォームはわからないけど、ご飯を美味しく感謝して食べる雰囲気は作れるぞ」

そう考えると、やれることが山ほどあることに気づきませんか? 3時間の技術指導権がないことを嘆くのではなく、21時間の生活指導権を持っていることに誇りを持ちましょう。その21時間の積み重ねが、グラウンドでの3時間を輝かせるのです。

野球以外の21時間の過ごし方(靴を揃える、食事、睡眠)(生成AIによるイメージ)
技術練習の3時間以外の「21時間」こそが、一流選手への土台を作る。(生成AIによるイメージ)

「技術」は教えられなくても「生き方」は教えられる

松井秀喜氏の師匠といえば、星稜高校時代の山下智茂監督です。山下監督の有名な言葉に、「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」というものがあります。

松井氏の「21時間」の発言の根底には、間違いなくこの教えが流れています。

技術というのは、あくまで「行動」の一部です。しかし、その行動を支えているのは「心」であり、「習慣」であり、「人格」です。これらは一朝一夕に身につくものではなく、日々の生活の中で、親が背中を見せ、言葉をかけ、時には叱り、共に笑う中で醸成されていくものです。

私は野球のルールブックを隅々まで解説することはできません。インフィールドフライが宣言される条件を、即座に説明する自信もありません。

でも、「嘘をつかないこと」の大切さは教えられます。
「仲間を裏切らないこと」の尊さは語れます。
「負けた時にどう振る舞うか」という品格については、人生の先輩として手本を示せます。
「道具を大切にしない人間は、仕事も大切にできない」という社会の真理は伝えられます。

これらはすべて「生き方」の範疇です。野球というスポーツは、不思議なほどにその人の「人間性」がプレーに出ます。チャンスで打てるか、ピンチで踏ん張れるか、エラーした後に声を出せるか。そこに出るのは、技術の差以上に、心の強さや在り方の差です。

未経験パパだからこそ、技術というフィルターを通さずに、純粋に「人としてどうあるべきか」を子供に説くことができる。技術論争に巻き込まれない分、俯瞰(ふかん)して子供の心の成長を見守ることができる。これは大きな強みです。

「パパは野球のこと詳しくないけど、お前が道具を放り投げたあの態度は許さない。野球選手である前に、一人の人間として失格だ」

そう毅然と言える父親でありたい。それが、松井氏の言う「21時間の質」を高めるということです。

一流選手ほど大切にする「グラウンド外の振る舞い」

大谷翔平選手が、グラウンドに落ちているゴミを「運を拾う」と言って拾うエピソードはあまりにも有名です。菊池雄星選手が、読書を通じて心を整えていることも知られています。そして松井秀喜氏は、現役時代、どんなに不調でも、マスコミに対して不機嫌な態度を取ることは一度もありませんでした。

彼らは皆、知っているのです。「野球以外の時間」の振る舞いが、回り回って自分自身の野球を助けてくれることを。

逆に、どれだけ才能があっても、私生活が乱れていたり、周囲への感謝を忘れたりした選手が、静かに球界を去っていく例も数多く見てきました。

子供たちに伝えたいのは、この事実です。
「ホームランを打つ練習も大事だけど、ゴミを拾うことも同じくらい大事なんだよ」
「速い球を投げることと同じくらい、挨拶をしっかりすることはすごいことなんだよ」

これを日常の中で刷り込んでいけるのは、毎日一緒にご飯を食べ、お風呂に入る親だけです。技術指導ができないコンプレックスなんて、捨ててしまいましょう。私たちは、未来のイチローや大谷翔平の「心」を育てているのですから。

令和の時代にこそ輝く「昭和の人間教育」

さて、ここからは少し、時代に逆行するような話をします。「古い」「時代遅れだ」と言われるかもしれません。でも、地域密着の子供会でソフトボールチームに関わり、そのまま中学校の軟式野球部へと進む息子を見てきた一人の父親として、どうしても譲れない想いがあります。

それは、「挨拶」と「感謝」の力です。

挨拶は滑稽?「清々しさ(すがすがしさ)」を知らない子供たち

最近、道ですれ違っても挨拶をしない子供が増えました。知らない人に声をかけられたら逃げなさい、と教わっている現代の防犯事情もあるでしょう。それは理解できます。でも、同じチームの親御さんにすら、目を見て挨拶できない。グラウンドに入っても、蚊の鳴くような声でボソボソと何か言うだけ。

そんな光景を見るたびに、私は危機感を覚えます。

「挨拶なんて形式だけでしょ? 意味あるの?」
「無理やり大声出させるなんて、軍隊みたいで昭和っぽい」

そんな冷ややかな声も聞こえてきそうです。挨拶を強要することを「ブラック部活」と揶揄する風潮さえあります。スマートに、効率的に、個性を尊重して……。確かにそれも一理あるでしょう。

でも、私はあえて言いたい。
「挨拶の清々しさ(すがすがしさ)」を知らずに育つなんて、あまりにも勿体無い、と。

腹の底から「おはようございます!」と声を出す。相手の目を見て、帽子を取って頭を下げる。すると、なんだか胸のあたりがスーッとして、スイッチが入る感覚。相手もニコッと笑って「おう、元気だな!」と返してくれる。その瞬間に流れる、温かくてポジティブな空気。

これは、やった者にしかわからない快感であり、心のデトックスです。

挨拶をする姿が滑稽? 一生懸命頭を下げる姿がダサい?
とんでもない。それは、他者への敬意を表すことができる、最も美しくてカッコいい姿です。

白い目で見られるなら、見ればいい。引かれるなら、引かせればいい。でも、私は確信しています。最後に人の心を動かし、応援されるのは、スマートにスルーする子ではなく、泥臭くても大きな声で挨拶ができる子です。

帽子をとって元気よく挨拶をする野球少年(生成AIによるイメージ)
令和の時代にこそ輝く「昭和の挨拶」。その清々しさが応援される力を生む。(生成AIによるイメージ)

地域に育てられた実体験。ソフトボール子供会で学んだ「おかげさま」の心

私がこう強く思うようになったのは、息子がお世話になった地域のソフトボールチームでの経験が原点です。

そこは、決して強いチームではありませんでした。最新の理論もなければ、プロ野球選手を輩出した実績もない。あるのは、近所のおじちゃんやおばちゃんたちの「お節介」と「温かさ」だけでした。

監督は、近所の酒屋のご主人。コーチは、定年退職した元大工のおじいちゃん。お茶当番のお母さんたちが握ってくれるおにぎり。試合になれば、散歩中の犬を連れた人までが足を止めて「がんばれー!」と声をかけてくれる。

そんな環境の中で、息子は技術以上に大切なことを学びました。

「このグラウンドは、自治会の人が草刈りをしてくれたから使えるんだぞ」
「審判をしてくれた〇〇さんに、ちゃんと帽子を取ってお礼を言ったか?」
「近所の人に会ったら、知ってる人でも知らない人でも、自分から挨拶しなさい」

昭和の遺物のような、口うるさい指導。でも、そこには愛がありました。

ある日、息子が試合でエラーをして泣いて帰ってきたことがありました。私はなんと声をかけようか迷っていました。すると、近所の八百屋のおばちゃんが、店の前を通った息子に声をかけたんです。
「◯◯くん、今日はドンマイだったね! でも、最後にあんなに大きな声でベンチから応援してたの、おばちゃん見てたよ。偉かったね」と、おまけのミカンを一つくれました。

息子は、そのミカンを握りしめて、また泣きました。でも、その涙は悔し涙ではなく、安堵と感謝の涙でした。

「自分は一人じゃない。地域の人に見守られている」

この自己肯定感こそが、子供の心を強くします。挨拶とは、単なる礼儀作法ではなく、この「地域の輪」の中に入っていくためのパスポートなのです。「おはようございます!」その一言が、他人を「味方」に変える魔法なのです。

この豊かさ、おおらかさ、そして謙虚さ。これらは、学校の教科書やYouTubeの技術動画では絶対に学べません。私たち親が、地域社会と関わり、頭を下げる背中を見せることでしか、伝わらないものなのです。

個性重視の時代だからこそ「謙虚さと敬意」が最大の武器になる

今は「個の時代」です。SNSで誰もが発信でき、個性が尊重されます。それは素晴らしいことです。しかし、個性を主張することと、自分勝手に振る舞うことは違います。

「自分らしさ」を履き違えて、目上の人への敬意を忘れたり、感謝の気持ちを持てなかったりする若者が増えているのも事実です。でも、だからこそチャンスなんです。

周りが挨拶できない中で、自分だけがピシッと挨拶できたら?
周りが文句を言っている中で、自分だけが「ありがとうございます」と言えたら?

それだけで、その子は「その他大勢」から抜け出し、圧倒的に信頼される存在になります。
令和の時代において、昭和的な「謙虚さ」や「敬意」は、もはや希少価値のある最強のビジネススキルであり、人間としての最大の武器になるのです。

目上の人を敬う。先輩を立てる。恩師に感謝する。
これを「媚びている」と捉えるか、「人間としての器を広げている」と捉えるか。
松井秀喜氏がメジャーリーグでも、引退後も、あれほどリスペクトされているのは、彼が圧倒的なホームランバッターだったからだけではありません。彼が、誰に対しても敬意を払い、謙虚であり続けたからです。

「古い」と笑う人たちには笑わせておきましょう。私たちは、この普遍的な価値を、胸を張って子供たちに継承していこうではありませんか。

親だから教えられる「心のスタメン」になるための3つの習慣

では、具体的に「21時間のプロデューサー」として、私たち未経験パパは何をすべきでしょうか? 明日からすぐに実践できる、3つの「心の習慣」を提案します。技術練習は一切不要です。

1. 誰にでも挨拶をする勇気。「変なおじさん」でいいじゃないか

まず、パパ自身が変わることです。
朝のゴミ出しで会う人、駅ですれ違う人、コンビニの店員さん。自分から「おはようございます」「ありがとうございます」と声をかけていますか?

子供は親の鏡です。親がスマホを見ながらボソボソと挨拶しているのに、子供に「大きな声で!」なんて言っても説得力ゼロです。

近所の子供たちに会ったら、知っている子でも知らない子でも、「おはよう!」「おかえり!」「気をつけてな!」と声をかけまくりましょう。「なんだこのおじさん?」という顔をされるかもしれません。不審者扱いギリギリかもしれません(笑)。でも、それでいいんです。

「パパは、挨拶を返してくれなくても挨拶するんだよ。だって、挨拶した方が気持ちいいからな」

その姿を見せ続けること。それが勇気です。やがて子供も、恥ずかしがらずに声を出すようになります。挨拶ができる子は、チームに入ってもすぐに名前を覚えてもらえます。可愛がられます。それは、レギュラー獲りへの第一歩でもあるのです。

2. 道具と靴を揃える意味。心が整えばプレーも整う

松井氏の「21時間」の中で、最も象徴的なのが「玄関の靴」と「道具の手入れ」です。

家に帰ったら、靴を揃える。
ご飯を食べる前に、グローブを磨く。

これを徹底させてください。技術的なことではありません。「心の整理整頓」です。
玄関の靴が乱れている時は、たいてい心も乱れています。焦っていたり、イライラしていたり、慢心があったり。そんな状態で打席に立っても、ボールは見えません。

未経験パパでも、靴が揃っているかどうかはわかります。グローブが汚いまま放り出されているかどうかはわかります。そこだけは、鬼になって叱っていいポイントです。

「野球が下手なのは仕方ない。でも、道具を大事にしないのは許さん」

この基準をブラさないこと。道具を丁寧に扱う手つきは、ボールを丁寧に扱うプレーにつながります。靴を揃える繊細さは、アウトかセーフかのギリギリの場面での冷静さにつながります。

3. 恩人への感謝を言葉にする。「やってもらって当たり前」からの脱却

今の子供たちは、恵まれています。綺麗なグラウンドがあり、道具があり、送迎してくれる親がいる。ともすれば、それが「当たり前」になりがちです。

だからこそ、意識的に「感謝の言葉」を言わせる環境を作ってください。

練習から帰ってきた車の中で、「今日は誰に何を教えてもらった?」と聞いてください。「コーチに投げ方教えてもらった」と答えたら、「そうか、じゃあ次はコーチに会った時、『この前の投げ方で上手くいきました、ありがとうございます』って言えるとなお良いな」と教えるのです。

また、食事の時もそうです。「いただきます」「ごちそうさま」だけでなく、「ママ、今日のご飯、疲れた体に染みるわ!ありがとう!」とパパが先に言うのです。

感謝は、心で思っているだけでは伝わりません。言葉にして初めて、相手に届き、自分の中に刻まれます。「おかげさま」の心を言葉にする習慣がつくと、子供の表情からトゲが消え、穏やかで強い顔つきに変わっていきます。

「21時間の質」が野球の技術を劇的に伸ばす理由

ここまで「心」の話ばかりしてきましたが、実はこれが「野球の技術」を伸ばすための最短ルートでもあります。精神論だけでなく、合理的な理由があるのです。

挨拶ができる子は、指導者のアドバイスを素直に聞ける(吸収力)

指導者の立場になって考えてみてください。
挨拶もしない、道具も雑な子に、熱心に技術を教えたいと思うでしょうか?
逆に、いつも元気よく挨拶し、目をキラキラさせて話を聞く子には、一つでも多くアドバイスをしたくなるのが人情です。

また、「挨拶ができる」=「素直な心が開いている」状態です。素直な子は、アドバイスをスポンジのように吸収します。変なプライドや反抗心が邪魔をしません。結果として、成長スピードが段違いに早くなるのです。

松井氏の言葉を借りれば、「21時間の姿勢が良ければ、3時間の練習密度が濃くなる」ということです。

地域に応援される選手は、ピンチで強い(メンタル)

文部科学省の調査や、日本スポーツ協会(JSPO)が推進する「フェアプレーで日本を元気に」というキャンペーンでも、挨拶や礼儀がスポーツの価値を高めると明言されています。
(参考:文部科学省「早寝早起き朝ごはん」国民運動 / 日本スポーツ協会

なぜ国を挙げてこれらを推奨するのか。それは、これらが「逆境に立ち向かう力(レジリエンス)」を育むからです。

地域の人に挨拶をし、可愛がられている子は、自分が多くの人に応援されていることを知っています。
打席で追い込まれた時、マウンドでピンチに立った時、ふとスタンドやベンチを見た時に感じる「応援の視線」。それがプレッシャーではなく、「力」に変わるのです。

「近所のおじちゃんも応援してくれてるんだ。俺は一人じゃない」

この安心感こそが、土壇場での底力を生み出します。孤立した天才よりも、愛された凡才の方が、最後の最後で強いのです。

松井秀喜氏のエピソードに学ぶ、愛される選手になる条件

松井秀喜氏は、メジャーリーグ時代、手首を骨折するという大怪我に見舞われました。シーズン絶望、連続試合出場記録も途切れるという、選手生命に関わる危機です。
しかし、彼はその直後の会見で、相手野手(スライディングを試みて接触した選手)を一切責めず、「これも野球の一部ですから」と微笑んで見せました。そして、リハビリ期間中も腐ることなく、裏方さんへの感謝を忘れず、黙々と「21時間の準備」を続けました。

その結果どうなったか。彼は復帰後、ワールドシリーズで日本人初のMVPを獲得するという奇跡のようなドラマを成し遂げました。

もし彼が、怪我をした時に相手を恨み、愚痴をこぼし、ふてくされていたら、あの栄光はなかったでしょう。
彼を支えたのは、圧倒的な技術だけではありません。高校時代から、もっと言えば幼少期から培ってきた「人格」という土台が、彼をあそこまで押し上げたのです。

私たち親が子供に贈ることができる最高のギフトは、この「愛される力」です。それは、高価なバットやグローブよりも、はるかに長く、子供の人生を支え続けてくれるはずです。

3時間の練習と21時間の生活習慣の関係図(生成AIによるイメージ)
技術(3時間)は、しっかりとした生活と心(21時間)の土台の上に成り立つ。(生成AIによるイメージ)

まとめ:未経験パパよ、胸を張って「古い心」を伝えよう

「パパ、野球教えてよ」

冒頭の息子の言葉に、今ならどう返しますか?

「技術はコーチに教われ。でも、一流の選手になるための『心』と『生活』は、パパがとことん教えてやる。覚悟しろよ!」

そう言って、ニカっと笑って返してあげてください。

令和の時代だからこそ、私たち昭和世代の出番です。
効率やコスパが叫ばれる時代だからこそ、手間暇かけた「挨拶」や「感謝」という、一見無駄に見えるものが光り輝きます。

地域の人に滑稽に見えるほど頭を下げる。
誰よりも早く起きて、清々しく一日を始める。
道具に「ありがとう」と言って磨く。

そんな「21時間の過ごし方」を、親父の背中で語ってやりましょう。
大丈夫。技術は教えられなくても、あなたは間違いなく、息子さんにとって世界一の「人生のヘッドコーチ」になれるのですから。

さあ、まずは明日の朝。
近所で一番大きな声で、息子と一緒に叫びましょう。

「おはようございます!」

それが、親子二人三脚の、新しい野球の始まりです。