元プロの再出発に学ぶ!少年野球パパが「未経験の壁」を壊すためのプライド放棄論
導入:「元プロ選手がハローワークへ」の衝撃ニュースが教えてくれること
「プロ野球選手だった人間が、ハローワークに行くなんて……」
先日、ネットニュースを見ていて、思わずスクロールする手が止まりました。それは、かつて華やかなスタジアムで歓声を浴びていた元プロ野球選手が、引退後にプライドをかなぐり捨て、ハローワークに通って次の仕事を探したという実話でした。
※AI生成による音声コンテンツにて、発音や読み方に違和感ございますが、ご了承ねがいます。
「恥ずかしい」とか「元プロなのに」という周囲の目。そして何より、自分自身の内にある「過去の栄光」という名のプライド。記事には、それらすべてを飲み込み、ゼロから社会人としての第一歩を踏み出すまでの葛藤が生々しく描かれていました。
その記事を読んだとき、私はふと、週末のグラウンドに立つ自分自身の姿と重ね合わせてしまいました。
「野球未経験のくせに、子供に偉そうなことを言っていないか?」
「ルールもろくに知らないのに、知ったかぶりをしていないか?」
「失敗するのが怖くて、審判や当番から逃げていないか?」
私たち父親は、社会ではそれなりの経験を積み、部下がいたり、責任ある仕事を任されていたりします。だからこそ、「できない自分」「知らない自分」をさらけ出すのが何よりも怖い。
しかし、元プロ選手ですら、新しい世界で生きるためにプライドを捨てて「素人」になる覚悟を決めているのです。ましてや、野球未経験の私たちが、変なプライドを持ってグラウンドに立つことに何の意味があるのでしょうか?
この記事は、息子が小学校でソフトボールを始め、中学校で軟式野球部に入り、高校まで野球を続けた約8年間、ずっと「未経験」のコンプレックスと戦い続けた私だからこそ書ける「応援歌」です。
技術的な指導法は書けません。でも、「知識ゼロのパパが、どうやって子供と一緒に野球を楽しみ、チームに貢献し、最高の思い出を作るか」については、プロのコーチ以上に語れる自信があります。
もしあなたが今、グラウンドの隅で「自分は場違いだ」と感じているなら、ぜひ最後まで読んでみてください。
元プロがハローワークで捨てたもの。それを私たちがグラウンドで手放せたとき、子供との関係は劇的に変わります。

30代・40代のパパを襲う「大人の常識」という名の呪縛
週末の朝、ジャージに着替えてグラウンドへ向かう足取りが重い。そんなパパはいませんか?
その原因の多くは、「大人の常識」という呪縛にあります。
「知らない」と言えない大人たち:職場での地位とグラウンドでの無力感のギャップ
30代、40代といえば、会社では中堅からベテランの域に入り、部下に指示を出したり、自分の判断でプロジェクトを進めたりする立場です。「分かりません」「教えてください」と頭を下げる機会は、新入社員の頃に比べれば圧倒的に減っているはずです。
私たちは無意識のうちに、「大人は答えを知っているものだ」「ミスをしてはいけない」という鎧(よろい)を身にまとっています。
ところが、一歩少年野球のグラウンドに入ると、その序列は逆転します。
そこにいるのは、野球歴20年のベテランコーチや、甲子園出場経験のあるパパ友、そして何より、現役プレイヤーである子供たちです。
ここでは、会社の役職なんて何の意味も持ちません。
「ボール回しって何?」
「インフィールドフライってどういう時?」
そんな初歩的な質問をすることすら、プライドが邪魔をして躊躇してしまう。「こんなことも知らないのかと思われたくない」という防衛本能が働き、結果として腕組みをして黙って見ているだけの「地蔵パパ」になってしまうのです。
この「職場での万能感」と「グラウンドでの無力感」のギャップこそが、未経験パパを苦しめる正体です。
「野球くらい知ってるわ」が生む悲劇:観るのとやるのとの決定的な違い
もう一つの厄介な敵は、「野球くらい知っている」という思い込みです。
昭和、平成と野球中継を見て育ち、プロ野球の順位予想や居酒屋での野球談義には自信がある。だからこそ、「ルールくらい分かる」とタカをくくってしまいます。
しかし、「観る野球」と「やる野球(特に少年野球)」は、全くの別物です。
例えば、テレビで見るプロ野球では当たり前のプレーが、少年野球では禁止されていたり、あるいは推奨されていなかったりします。
さらに言えば、私たちが子供の頃に遊んだ草野球のルールと、現在の公認野球規則は大きく異なっています。
「そこは走っていいだろ!」
観客席から思わず叫んだ声が、実はルール上間違いで、周囲の保護者から冷ややかな目で見られる……。そんな「知ったかぶりによる悲劇」は、毎週どこかのグラウンドで起きています。
「知っているつもり」は「知らない」よりもタチが悪い。なぜなら、学ぶ姿勢をブロックしてしまうからです。
異世界へのダイブ:少年野球のルールや慣習は、社会の常識とは別次元にある
少年野球の世界には、独特の文化や不文律があります。
- 挨拶の徹底: グラウンドに入る時、出る時の脱帽と一礼。
- 道具への敬意: バットをまたがない、グローブを座布団にしない。
- 絶対的なヒエラルキー: 監督・コーチの指示への服従(良し悪しは別として)。
これらは、効率や合理性を重視するビジネスの世界から見ると、時には「古臭い」「非合理的だ」と感じることもあるでしょう。
「なんでお茶当番なんてあるんだ」「もっと効率的に練習すればいいのに」
そう思うのは自由ですが、その組織に入った以上、まずはその文化を理解し、尊重する姿勢がなければ、誰もあなたの声には耳を傾けてくれません。
未経験パパにとって、少年野球チームに入ることは、いわば「異世界への転生」です。
こちらの常識(ビジネススキルや効率論)を持ち込む前に、まずはその世界の理(ことわり)を肌で感じ、受け入れること。それが、この異世界でサバイブするための第一歩なのです。
【体験談】息子と歩んだ8年間:私の「知ったかぶり」が崩壊した日
偉そうなことを書いていますが、私自身、最初はひどいものでした。
息子がバットを握ったあの日から、私の「知ったかぶり」が音を立てて崩れ去るまでの8年間の軌跡をお話しします。
スタートは小学校のソフトボール:甘く見ていた「ボール遊び」の延長線
息子が最初に始めたのは、地域のソフトボールチームでした。
「ソフトボール? ああ、あのでっかいボールを使うやつね。女子がやるスポーツでしょ?」
正直、私はそう思っていました。野球よりもボールが大きくて打ちやすいし、塁間も狭い。子供の遊びの延長線だろうと、完全に甘く見ていたのです。
しかし、練習に参加してみて驚愕しました。
ピッチャーの体感速度は野球以上に速い。塁間が短い分、内野の守備にはコンマ数秒の判断が求められる。何より、ルールが野球と微妙に、しかし決定的に違うのです。
例えば「離塁(リード)」。
野球ならピッチャーが投げる前からランナーはリードを取れますが、ソフトボールではピッチャーの手からボールが離れるまでベースから離れてはいけません。
「おい!もっとリード取れよ!」
練習試合で私が叫ぶと、コーチが苦笑いで近づいてきました。
「お父さん、それアウトになっちゃいますよ」
顔から火が出るほど恥ずかしかったのを覚えています。
「野球みたいなもんだろ」という私の認識は、ただの傲慢な思い込みでした。ソフトボールにはソフトボールの、奥深い戦術と技術体系があったのです。
中学軟式野球への転向で見えた壁:ルール改正と「全く通用しない」私の野球観
息子が中学生になり、軟式野球部に入部しました。
「よし、今度こそ本物の野球だ。俺の出番だ」
そう意気込んだのも束の間、またしても壁にぶち当たります。
私が子供の頃に覚えた野球のルールと、現在のルールがかなり変わっていたのです。
例えば、昔はキャッチャーがボールを持って体当たりでブロックする「クロスプレー」が野球の華でしたが、今はコリジョンルール(衝突防止)で厳しく禁止されています。
投手の投球制限も厳格化され、以前のように「エースが連投して根性を見せる」という美学は、今は「指導者の怠慢」と見なされます。
さらに、軟式ボール自体の規格も変わっていました(M号球など)。弾み方や飛び方が、私の知っている軟式ボールとは違うのです。
「パパの言ってること、監督と言ってることが違うよ」
息子にそう言われた時のショックといったらありません。
私の頭の中にある昭和の野球観は、令和のグラウンドでは「アップデートされていない旧OS」でしかありませんでした。それはバグを起こし、子供を混乱させるだけだったのです。
観客席の安全地帯から、グラウンドという戦場へ引きずり出された瞬間
それでも、最初のうちは観客席やフェンスの外から見守るだけの「安全地帯」にいました。
そこなら、多少間違ったことを言っても恥をかくだけで済みます。
しかし、少年野球の現場は常に人手不足です。
「お父さん、ちょっとボール拾い手伝ってください」
「ライン引きお願いできますか?」
徐々にグラウンドの中へと誘われ、ついに逃げられない瞬間が訪れました。
練習試合での「審判要請」です。
これはもう、観客席からの野次とはわけが違います。自分の判断が、試合の結果を左右し、子供たちのプレーの成否を決めてしまう。
「未経験なんで……」という言い訳が通用しない、責任ある立場への強制連行。
ここから、私の本当の意味での「野球パパ修行」が始まりました。

最大の試練「塁審やってよ」:スポーツ未経験パパがジャッジを下す恐怖
「お父さん、次の試合、一塁の塁審お願いできますか?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が早鐘を打ちました。
ルールブックは読みました。アウトかセーフか、ジェスチャーも見よう見まねで覚えました。でも、実際に生身の人間が走ってきて、ボールが飛んでくる瞬間に、瞬時に判断を下すなんてできるのか?
審判デビューの日の記憶:足が震え、自信のなさがプレーを止める
あの日の一塁ベースの感触は、今でも忘れられません。
日差しは強かったのに、私の背中は冷や汗でびっしょりでした。
試合が始まり、バッターが内野ゴロを打ちました。
ショートが捕って、ファーストへ送球。バッターランナーが駆け込んでくる。
(どっちだ!? 同時か? いや、ボールが早かったか?)
頭の中が真っ白になりました。
私の目は、ボールとランナーの足を追えていたはずなのに、脳が判断を拒絶したのです。
「……アウト?」
自信なさげに小さく手を挙げました。
その瞬間、相手チームのベンチから「ええー!?」という声。味方チームの保護者からも「今のセーフじゃない?」というひそひそ話が聞こえた(ような気がしました)。
私の曖昧な態度のせいで、試合の空気が一瞬止まりました。
子供たちは私の顔を見ています。「どっちなの?」と。
私は自分が間違えたかもしれないという恐怖で、その場から逃げ出したくなりました。
ベテラン指導者からの衝撃の一言:「自信を持ってやってよ。審判は絶対なんだ」
イニングの合間、私は逃げるようにベンチ裏へ行き、ベテランの指導者(監督)に謝りました。
「すみません、さっきの判定、間違ってたかもしれません。自信がなくて……」
怒られると思いました。審判を代わってくれと言われると思いました。
しかし、監督から返ってきた言葉は、予想もしないものでした。
「お父さん、間違ってもいいんだよ。人間なんだから」
「でもね、自信を持ってやってよ。お父さんが迷ったら、子供たちが一番迷うんだ」
「このグラウンドでは、審判は絶対なんだ。あなたがアウトと言えばアウト、セーフと言えばセーフ。それがルールなんだから、堂々としていてください」
目から鱗が落ちるとは、まさにこのことでした。
私は「正解すること(ミスをしないこと)」ばかりに囚われていました。会社での仕事と同じように、「正解率100%」を目指していたのです。
でも、求められていたのはそこではなかった。
「決断すること」そして「その決断に責任を持つ態度を示すこと」。
それが、審判という役割の本質だったのです。
価値観の転換:「正解すること」よりも「堂々とすること」が子供を守る
「審判は絶対」。
これは、審判が偉いという意味ではありません。「試合を成立させるために、誰かが最終決定権を持たなければならない」というルールの根幹です。
もし審判がおどおどしていたら、子供たちは「抗議すれば判定が覆るかもしれない」と思います。それは、ルールへの敬意を損なわせ、ひいては相手チームへのリスペクトも失わせることになります。
私が堂々と「アウト!」とコールすることは、たとえそれが際どい判定であったとしても、「ここは俺が責任を持つから、お前たちは次のプレーに集中しろ」という子供たちへのメッセージになるのです。
未経験だからこそ、技術的な良し悪しは分からない。
でも、「今起きたこと」を自分の目で見て、正直に、大きな声で判定することはできる。
それは「野球の技術」ではなく、「大人の覚悟」の問題でした。
その日以来、私は審判台に立つとき、自分にこう言い聞かせるようにしました。
「俺が一番近くで見ていたんだ。俺が見たものが、この試合の真実だ」と。
「審判は絶対」の真意とは?教育としての少年野球を理解する
この「審判は絶対」という概念は、単に試合進行のためだけでなく、子供たちの教育においても非常に重要な意味を持っています。
(参考:全日本軟式野球連盟 競技者必携・ルール等)
社会では理不尽でも、グラウンドではルール:子供に教えるべき「判定への敬意」
社会に出れば、理不尽なことは山ほどあります。
自分の言い分が通らないこと、上司の判断に納得できないこと。
少年野球における「微妙な判定」は、そうした社会の理不尽さのシミュレーションでもあります。
自分はセーフだと思ったのに、アウトと判定された。その時、ふてくされるのか、それとも帽子を取って「ありがとうございました」と言ってベンチに戻り、次の守備の準備をするのか。
私たち親が、家で「今日の審判、下手だったな」「あれはセーフだったよな」と審判批判をしてしまうと、子供は「うまくいかないのは他人のせい」と考えるようになってしまいます。
逆に、親が「審判さんがアウトって言ったらアウトなんだよ。それよりも、際どいタイミングになる前に打てなかったことを反省しよう」と言えば、子供は「自分にできること(自責)」に目を向けるようになります。
未経験パパである私たちが審判をやる意義は、ここにあります。
私たちはプロの審判ではありません。ミスもします。だからこそ、お互い様。
「パパも一生懸命やって間違えたんだから、許してあげよう」
「その代わり、相手のチームのお父さんが審判で間違えても、文句は言わないようにしよう」
そんな風に、「不完全な人間同士が、ルールという約束事の上で真剣勝負をする」という尊さを教えられるのは、完璧なプロではない、私たち素人パパだからこそなのです。
劣等感が使命感に変わる時:未経験だからこそできる「公平な目」の強み
実は、未経験パパには審判における意外な強みがあります。
それは「技術的なバイアスがないこと」です。
経験者のパパは、どうしても技術論が頭をよぎります。
「今のスイングは形が悪いからストライクゾーンでもボールに見える」
「捕球体勢が整っていないから……」
しかし、未経験者は純粋に「ボールがミットに入った位置」や「足とボールの到着順」だけを見ようとします。余計な先入観がない分、実は際どいプレーを冷静に見られることもあるのです。
「自分は野球を知らない」という劣等感は、「だからこそ、しっかり見よう」という誠実な使命感に変わります。
その誠実さは、必ず子供たちや他の保護者に伝わります。
「あのお父さん、ジャッジはたまに怪しいけど、いつも一生懸命走って見てくれるよね」
そう言われたら、もう立派なチームの一員です。
失敗してもいい、謝ればいい:パパが汗をかいてミスする姿こそが最高の教材
私が塁審で明らかなミスジャッジをしてしまった時のことです。
試合後、子供たちの前で頭を下げました。
「ごめん、さっきのライトフライ、パパの位置取りが悪くて見えなかった。完全にパパのミスだ。みんなの頑張りを台無しにしてごめん」
子供たちは驚いていました。普段、家では威厳(?)を保っている父親が、自分たちに素直に謝っている。
キャプテンの子が言いました。
「いいよパパさん、ドンマイ! 次頑張って!」
その瞬間、涙が出そうになりました。
子供たちは、失敗する大人を責めたりしません。むしろ、失敗を認めて次に進もうとする姿を見て、何かを感じ取ってくれます。
パパが汗だくになって走り回り、失敗して、謝って、また走る。
その姿を見せることこそが、口先だけの説教よりも何倍も価値のある「教育」なのだと気づきました。
具体的なアクション:明日からグラウンドで「脱・地蔵」するための3ステップ
ここまで精神論を中心にお話ししましたが、では具体的にどうやって一歩を踏み出せばいいのか。
「脱・地蔵パパ」のための3つのステップを提案します。
ステップ1「道具係」:技術がいらない場所からチームの輪に入る
いきなり審判やノックの手伝いはハードルが高いです。まずは「野球の技術がいらない仕事」を見つけましょう。
- ボール磨き: 練習の合間に、汚れたボールを雑巾で拭く。これだけでチームは大助かりです。
- ライン引き: 石灰(ラインカー)を使って線を引く。真っ直ぐ引くのは意外と難しく、職人芸を極めると子供たちから尊敬されます。
- アイシングの準備: 夏場の氷の用意や、ジャグ(水筒)の補充。
これらの仕事に「野球経験」は不要です。でも、チーム運営には不可欠です。
「○○君のパパは、いつもボールを綺麗にしてくれる」
そのポジションを確立すれば、居場所ができます。
ステップ2「知ったかぶりの卒業」:子供やコーチに「これってどういう意味?」と聞く勇気
居場所ができたら、次は知識のアップデートです。
ここで重要なのは、Google検索でこっそり調べるのではなく、現場で聞くことです。
コーチに「さっきのプレー、なんでアウトになったんですか? ルールを勉強したいので教えてください」と聞いてみましょう。
教えたがりのコーチなら、喜んで解説してくれます。熱心なパパだと思われ、好感度も上がります。
さらに効果的なのは、子供に聞くことです。
「ねえ、今日の練習でやってた『カットプレー』って何? パパ分からないから教えて」
子供は「パパに教えてあげる」という状況が大好きです。得意げに説明してくれるでしょう。
これは、子供自身の復習(言語化)にもなり、野球の理解度が深まるという副産物もあります。
ステップ3「ショートストーリーの共有」:練習の帰りに「今日のパパの失敗」を子供に話す
練習の帰り道、車の中や歩きながら、子供と何を話しますか?
「もっと声出せよ」「あのエラーはダメだろ」
そんなダメ出しをしていませんか? それは経験者パパの役割です。
未経験パパは、こう話しかけてください。
「今日、パパさぁ、ボール拾いで転んじゃって恥ずかしかったよ」
「スコアの付け方が分からなくて、コーチに聞いちゃった」
自分の失敗談や、新しく学んだことをシェアするのです。
そうすると子供も心を開きます。
「実は僕も、バントのサイン見逃しちゃったんだよね」
そこには「指導する親と指導される子」ではなく、「共に野球を学ぶ仲間」としての対話が生まれます。これこそが、未経験パパにしか築けない親子の絆です。

それでも怖いあなたへ:最新トレンドに見る「学び直し(リスキリング)」の価値
最後に、少し視点を広げて、今の社会トレンドと絡めてお話ししましょう。
あなたがグラウンドでやろうとしている「未経験からの挑戦」は、実はこれからの時代に最も必要なスキルそのものです。
40代からの挑戦は脳にも心にも効く:アンチエイジングとしての少年野球
「リスキリング(学び直し)」という言葉が流行っていますが、まさに少年野球は最高のリスキリングの場です。
普段使わない筋肉を使い、普段使わない脳の部位(瞬時の空間認識やルール判断)を使う。
慣れ親しんだ仕事をルーチンでこなすだけの毎日よりも、脳への刺激は強烈です。
「新しいことを覚える」苦しみと喜びを再体験することは、本業のビジネスにも必ず良い影響を与えます。柔軟な思考や、謙虚な姿勢を取り戻すことができるからです。
1つの守備位置しかできないリスク:パパ自身が「多能工」になる姿を見せる
最近のニュース記事でも話題になっていますが、少年野球の世界では今、「1つのポジションしか守れないことのリスク(怪我や将来の可能性の狭まり)」が指摘されています。
(参考:Full-Count「1つの守備位置しかできない子が増加中」等の記事)
子供たちには「複数ポジションを守れるようになれ(ユーティリティプレイヤーになれ)」と指導者が言います。
ならば、親である私たちも「仕事しかできない人間」であってはいけないのではないでしょうか?
仕事もできる、ボール磨きもできる、審判も(下手なりに)できる。
そんな「多能工」としてのパパの背中を見せることは、子供に対して「色々なことに挑戦しよう」という無言のメッセージになります。
「パパも40歳過ぎてから審判覚えたんだから、お前もキャッチャーやってみろよ」
その言葉には、実体験に裏打ちされた重みがあります。
3年後の未来予想図:ベンチで子供と一緒に泣けるパパになるために
冒頭で紹介した元プロ選手のニュースには続きがあります。ハローワークに通った彼は、3年後、新たな職場で出世し、充実した日々を送っているそうです。
プライドを捨てて挑戦した先には、必ず成果が待っています。
少年野球も同じです。
今、恥をかきながら覚えたスコアブックの付け方や、審判のジェスチャー。
これらは3年後、子供たちの最後の夏の大会で、かけがえのない財産になります。
ベンチに入って、スコアを書きながら、子供たちのヒットに震える。
審判として、我が子の成長を一番近くの特等席で見守る。
試合に負けて、子供たちと一緒に本気で泣く。
そんな体験は、「観客席のお客さん」のままでは絶対に味わえません。
泥にまみれて、一緒に戦った「当事者」だけに許された特権です。
まとめ:プライドを捨てた先に待っている「新しい親子関係」
元プロ野球選手がハローワークの扉を開けたとき、彼は「過去の自分」と決別し、「未来の自分」を選びました。
私たちも、週末のグラウンドのフェンスを開けるとき、同じ決断をしましょう。
「会社の部長」でも「一家の大黒柱」でもなく、ただの「野球好きの新人おじさん」になるのです。
本記事のポイント
- 「大人の常識」を捨てる: 職場でのプライドはグラウンドでは邪魔なだけ。
- 「知ったかぶり」をやめる: 8年間の経験から言えます。正直に聞くのが一番の近道。
- 審判は「技術」ではなく「覚悟」: ミスを恐れず、責任を持ってジャッジする姿勢を見せる。
- 子供と「仲間」になる: 教える関係から、共に学ぶ関係へシフトする。
私は8年間、野球とソフトボールに携わりましたが、結局最後までキャッチボールは下手なままでした。
それでも、息子は引退するときにこう言ってくれました。
「パパが審判やってくれた試合、なんか安心したよ」
その一言だけで、あの日の震えるような塁審デビューも、ルールが分からなくて恥をかいた日々も、すべて報われた気がしました。
さあ、今週末はジャージに着替えて、一番下手な新人としてグラウンドへ行きましょう。
あなたのその「勇気ある一歩」を、子供たちはちゃんと見ています。
